庵野秀明監督のすごい経歴とシン・ゴジラの製作秘話とは!?

シン・ゴジラ

アニメ好きでない方でも「エヴァンゲリヲン」は、一時期社会現象にまでなったので知ってる方も多いと思います。

そのエヴァンゲリヲンを監督した人が庵野秀明さんです。

庵野監督は、アニメの監督以外にも実写で監督したり、声優もこなしたりとマルチで活躍するすごい人です!

そんな庵野監督はどうやってここまで上り詰めたのでしょう?

出来るだけ解りやすく紹介したいと思います!

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庵野秀明ってどんな人?

庵野秀明

庵野監督

プロフィール

生年月日  1960年5月22日
出身地   山口県・宇部市
血液型   A型

略歴

1983年  「風の谷のナウシカ」の原画に採用され上京
1984年  株式会社ガイナックスの設立に参加
1988年  「トップをねらえ!」でアニメ初監督
1997年  「新世紀エヴァンゲリオン」で第18回日本SF大賞を受賞
1998年  映画「ラブ&ポップ」で実写初監督
2006年  庵野個人のアニメ製作会社・株式会社カラーを設立
2007年  「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を発表
2011年  「監督失格」で第21回日本映画プロフェッショナル大賞 作品賞受賞

2013年  宮崎駿の「風立ちぬ」で初声優・初主演
2016年  「シン・ゴジラ」を監督

庵野秀明のすごい所とは?

庵野監督のすごい所は、何といってもSF作品に対する思い入れや関わり方がハンパ無い所だと思います。

特に『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』は、庵野監督にとってはバイブル的な存在で、自身の作品にも頻繁にオマージュとして登場します。

そして、中でも1993年発表の「機動戦士Vガンダム」に関しては、そうとうな思い入れがあり、

「この作品にハマらなかったら僕は『新世紀エヴァンゲリヲン』を作る前にアニメを辞めてたかもしれない、あるいは『エヴァ』みたいなものを作る気にはならなかったと思う」

と言う程の熱の入れようでした。

ガンダム好きは世の中ごまんといますが、その思いや熱意を持ち続けて、後にそれを超えるようなアニメ作品を自ら生み出せる人は、そういないと思います。

それをやった人が庵野監督です!
大ヒットアニメのエバンゲリヲンは、まさにこの熱意と情熱を持った庵野監督でないと作れなかった作品と言えます。

エヴァンゲリオン

出典matome.naver.jp

また、SFアニメ好きだったからか、学生時代からメカに関する画力がものすごかったそうで、学生時代に友人と作った自主製作アニメでは、メカや爆発シーンなどを手掛けてプロをも驚かる程高い評価を受けています。

そして、そういうSFに対する特別な思い入れがある庵野監督だからこそ、「シン・ゴジラ」をヒットさせる事が出来たのではないでしょうか?

そんな庵野監督は、一体どんな風にしてここまで来たのでしょうか?

庵野秀明がアニメーション監督となるまで

庵野監督は高校時代は美術部の部長を務めるなど、早くから絵に関しては得意分野でした。

その特技を生かして、大阪芸術大学映像計画学科に進学したのがアニメとの出会いです。

そこでSF研究会に所属すると、出会った友人と「DAICON FILM」と言う自主製作アニメを作る同人制作集団を作って活動します。

その活動がプロからも認められ、「超時空要塞マクロス」の制作に参加して、この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになります。

その頃、アニメ雑誌で「劇場版 風の谷のナウシカ」の作画スタッフの募集告知を見て応募し、採用され上京します。

上京後は「風の谷のナウシカ」だけで無く、「超時空要塞マクロス 」や「メガゾーン23」と言った、有名なSFアニメのメカや爆発シーンなどのエフェクトアニメーションを手がけます。

「風の谷のナウシカ」では、採用時に大量に持ち込んだ原画が宮崎駿監督に気に入られて、いきなりクライマックスの巨神兵登場シーン担当に抜擢されています。

このようにして、庵野監督のアニメーターとしての生活がスタートします。

巨神兵

出典matome.naver.jp

庵野監督はこの時期、宮崎監督だけで無く、超時空要塞マクロスの板野一郎さんや、機動戦士ガンダムの富野由悠季さんとも一緒に仕事をしています。

こうして早くから一流のアニメーターの仕事を身近に見れた事が、後の活躍の原動力になってると思います。

しかし、庵野監督はメカや爆破シーンは描けますが、人物を描くのは苦手だったようで、このままではアニメーター一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替えるようになります。

監督としての仕事の進め方などは、主に宮崎駿監督から学んだそうです。

こうやって、アニメーターから監督業に切り替え、1988年に「トップをねらえ」でアニメ監督デビューを果たします!

その後は、「エバンゲリヲン」などのアニメ作品だけにこだわらず「ラブ&ポップ」や「旧式」、「キューティーハニー」などの実写も手掛けていきます。

そして、「シン・ゴジラ」では見事にゴジラを復活させました!

シン・ゴジラの製作秘話

庵野監督が、最初にゴジラの話を制作会社の東宝から聞いたのは2013年でした。

きっかけはジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんが、庵野監督と東宝映画の社長である市川南さんとの食事会を開いて、鈴木さんが帰ったあとに市川社長が「ゴジラに興味ありますか?」と庵野監督に聞いてみたらまあ、興味ないでもないですねえ」と答えた事で、脈ありと思い話が進んだそうです。

社長の市川さんは、今までのようにプロデューサーがプロットと作り、監督や特撮監督に依頼するのでは無く、いきなりクリエーターに一括でお願いするやり方を望んでいました。

そうやって話は持ち掛けたものの、庵野監督がどこまで引き受けてくれるのかが分からなかったのと、やはり多少の不安があったので最初は他にも監督候補がいました。

しかし、蓋を開けてみると庵野監督がノリノリで、脚本から総監督まで引き受けると言う話になり、プロジェクトがスタートしました。

当初、東宝側は劇中に恋人関係とかのストーリーも盛り込もうと提案しますが、庵野監督はそう言う余計な物語は一切排除して、極めてストイックな政治家だけの話に仕立て上げました。

庵野監督が目指したのは、一作目のゴジラです。

二作目以降のゴジラと言うのは、一回ゴジラが来てるという設定なので、どうしても一作目よりも今一つインパクトに欠ける部分がありました。

なので今回は「もし今の日本にゴジラが初めてやってきたらどうなるのか?」と言う設定のもと、ストーリーが練られていきます。

主人公が政治家なので、脚本もリアルさを追求する為、本物の政治家に取材を重ねたり東京都知事の小池百合子さんにも取材したそうです(笑)

そうやって徹底した取材のもとで作られた脚本は、3時間分くらいの量になっていました。

庵野監督はこれを2時間で納める為に、役者にセリフを1.5倍のスピードでしゃべらせたと言われています(笑)

結果、この選択が成功して今や空前の大ヒットとなっています!

東宝はこの結果に味をしめて、今後も別のクリエーターを起用してまた新たな「ゴジラ」の可能性を追求する事を考えているみたいです。

また数年後には、違う新しい形のゴジラが見れるかも知れませんね(笑)

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