ウサイン・ボルトの年収と私生活がヤバイ!凄い記録や驚きの時速とは?

ウサイン・ボルト選手の登場以来、陸上短距離界はほぼボルト選手の独壇場と言ってもいい状態でした。

そんなウサイン・ボルト選手は現在、世界最速の男として君臨するすごい人です!

彼は一体どうやって世界最速までたどり着いたのでしょう?

また、現在の年収や気になる私生活はどんな感じなのでしょうか?

ちょっと気になったので調べてみました!

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ウサイン・ボルトってどんな人

ウサイン・ボルト

ウサイン・ボルト

出典u-note.me

プロフィール

フルネーム  ウサイン・セント・レオ・ボルト
出身地    ジャマイカ・トレローニー
生年月日   1986年8月21日
身長     196cm
体重     93kg
種目     短距離

自己記録

100m  09秒58(世界記録)2009年
150m  14秒35(世界記録)2009年
200m  19秒19(世界記録)2009年
400m  45秒28(2007年5月5日)

獲得金メダル

オリンピック

2008 北京    100m・200m       金
2012 ロンドン  100m・200m・4×100  金
2016 リオ    100m・200m・4×100  金

世界陸上

2009 ベルリン  100m・200m・4×100  金
2011 大邱(韓国)           200m・4×100  金
2013 モスクワ  100m・200m・4×100  金
2015 北京    100m・200m・4×100  金

2011年、大邱(韓国)世界陸上の100m決勝は、フライング失格となった為に、100mでの世界選手権連覇を果たすことは出来ませんでした。

ウサイン・ボルトのすごい所は?

ボルト選手の名が一躍世界中に響きわたったのは、2008年北京オリンピックでの男子100m(9秒69)世界記録更新です!

オリンピック前の5月にも、9秒72で世界記録を更新していたので、それを上回る世界記録での優勝は相当なインパクトがありました。

そして、ピークは翌年の2009年にベルリンで行われた世界陸上です。

ボルト選手は、男子100m決勝で人類史上初となる9秒5台の9秒58で優勝しました!

この時の走る最高速は、時速にすると約44キロにもなりました。

時速44キロと言ったら、強靭な足腰を持つ人が自転車を全速力でこいで、出るか出ないかくらいのスピードです(笑)

そう考えると、やはり100mを9秒台で走る人は尋常じゃないですね!

そんなボルト選手はどんな風にして、世界最速の称号を手に入れたのでしょう?

ボルト選手のすごい経歴と速さの秘密とは?

ボルト選手は、十代前半は陸上では無く、クリケットの選手として活躍していました。

しかし、足が速いので陸上へ誘われたのか、15歳の時に出場した「2002年世界ジュニア選手権」でいきなり史上最年少優勝してしまいます!

翌年の「世界ユース選手権」でも優勝。

そして、2004年には200mで17歳にしてジュニア史上初めて20秒を切る19秒93のタイムで、ジュニア世界新記録を樹立しています!

15歳当時のボルト

出典nicovideo.jp

10歳までの成績は分かりませんが、すでに15歳でジュニアの世界大会などで活躍する程の実力がありました。

こう思うと、やはり潜在能力と言うか、才能って恐ろしいものだなとつくづく思います!

しかし、どこにでもある事ですが、その年代で活躍するとどうしても自惚れからか、反発して練習をサボったり、言われた通りにやらなかったりと、色々コーチが手を焼いていた時期もあったようです。

とにかく練習するより、どうやってサボろうかと考えていて、一週間分の練習メニューを渡されても練習日に姿を現さない事もありました。

さらに、ボルト選手は思春期に多いとされる脊椎側彎症(せきついそくわんしょう)と言う、背骨が側方に弯曲する病気にかかっていて、その事も問題となっていました。

脊椎側彎症の人が走ると、不安定に揺れる背骨のために、骨盤は肩とのバランスをとろうと互いに大きく揺れ動くので、太ももの後ろにある筋に大きな影響を与えて、肉離れを引き起こしやすくなります。

案の定、2004年に初めて出場したアテネオリンピックでは、脊椎側彎症の影響せいか200メートルで一次予選落ちしています。

翌2005年の世界選手権200mでも、レース中に肉離れを起こして棄権すると言う散々な結果となっています。

ここからボルト選手は、輝かしい活躍から一転して、怪我や周囲の期待に応えられない低迷する時期が続くこととなりました。

ボルト選手を救ったコーチの一言

2004年からボルト選手のコーチとなったグレン・ミルズ氏は、脊椎側彎症を克服する為に3年計画で筋肉強化を徹底するなど、ボルト選手の体に合った練習メニューを作り、トレーニングを始めます。

ボルトとミルズコーチ

出典usainbolt.com

しかし、相変わらずサボってばかりいるボルト選手にミルズコーチがひとこと言います。

「走ることが仕事で、お金をもらっている”プロ”なのだから練習はきちんとしろ。練習できないなら、遊ぶな!」

こう一喝されて、ようやくボルト選手の気持ちにプロ意識が芽生えて、本気で練習に励むようになります。

その結果、2007年の世界選手権200mで銀メダルを獲得するまでに回復しました!

その後は100mにも参戦し、わずか5戦目の2008年5月に行われた「リーボック・グランプリ100m」で、9秒72の世界記録(当時)で優勝しています!

このような流れで、ボルト選手の才能は一気に開花されていきました。

ウサイン・ボルトの速さの秘密

ボルト選手の速さの秘密は、色々言われてますが、やはり恵まれた体格による物が一番大きいのではないでしょうか。

なぜなら、世界記録を出した時の走りを分析すると、ゴールラインを超える最後の一歩は約2メートル99センチに達し、これは100メートル走における史上最大級の歩幅であると言われています。

通常、100mなら身長180cm前後のスプリンターで45~46歩で走りますが、ボルト選手は41歩で走りきることができます。

ボルトの足

出典youtube

この事から見ても、走る筋力が同じであるなら、歩幅の大きい高身長の体型が有利になるのは間違いないでしょう。

とは言え、それはあくまでも「ボルト選手の体型」だからかも知れません。

と言うのも、通常のスプリンターは、走る時はなるべく体を揺らさずに走ります。
揺らすと抵抗を生むのでタイムロスにつながるからです。

しかし、ボルト選手は脊椎側彎症のせいで、体を揺らしながら走る独特のフォームでしか走れないにもかかわらず、このタイムです。

その理由を専門家は

「体の揺れと走る動きのタイミングを一致させることで、揺れが逆に相乗効果を生んでいる。ボルトがいろいろ試行錯誤した結果、身につけた技術だろう」

引用 http://www.nikkei.com

と分析しています。

なので、最終的に自分の身体の欠点ともいうべき所を、ボルト選手は色々試行錯誤してプラスの効果を生むよう変えていったのだと思います。

恵まれた身体能力と、走るうえで本来は不利なはずの脊椎側彎症の症状をも味方につける研究と努力、そしてプロ意識をもってトレーニングに励む意識の高さ。

これらを兼ね添えてるボルト選手だからこそ、世界最速の男になれたのだと思います!

ボルト選手の驚きの私生活とは?

やはり世界最速ともなると、ものすごい金額を稼いでいますね!

現在のボルト選手の年収は約34億5000万円となり、スポーツ選手長者番付でも32位にランクされています。

ほとんどはスポンサー収入で、ボルト選手が何かスポーツ用品を身に着けて宣伝すれば、その商品は世界中で飛ぶように売れるでしょう。

そんなボルト選手は、オリンピックはリオで最後と明言して、引退も2017年の世界選手権を最後にするような事を言っています。

確かにオリンピックを3連覇して、世界記録も作ったのですから陸上ではもうやり残す事は無いのかもしれません。

では陸上を引退して、次は何をやるのでしょう?

恐らく、2年ほど交際しているジャマイカ人ドクターの「カシー・ベネット」さんと結婚するのでは?と言われていました。

カシーベネット

出典matome.naver.jp

しかし、ボルト選手がリオでハメを外し過ぎて、元麻薬王の未亡人「ジョディ・デュアルデ」と浮気をした事で、その結婚がどうなるのかは分からなくなりました。

ジョディ・デュアルデ

出典matome.naver.jp

ボルト選手も、まさか写メで撮った画像を公開されるとも思って無かったでしょうから、この一夜の過ちがどんな結果になるのか注目されています。

相手のカシー・ベネットさんは、この事実に反応する事なく、今のところは沈黙を守ってるようですが、内心は穏やかであるはずありませんね。

世界最速の男と付き合う時点で、こういう事は予測しているのかも分かりませんが、今後のボルト選手がどう対処していくのか、事態を見守って行きたいと思います・・・。

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