男気・黒田博樹の凄い経歴と私生活とは!?引退後の行方は?

野球のボール

2016年、広島カープが25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

その優勝に大きく貢献したのが、黒田博樹投手です!

黒田投手は2008年~2014年までメジャーで「エース」と呼ばれるほど大活躍していましたが、2015年にメジャーからの20億円と言われる多額の年俸提示を蹴って、古巣の広島カープへと帰ってきたすごい人です!

一体どうやって黒田投手はこんなすごい選手になったのでしょう?

出来るだけ解りやすく紹介したいと思います!

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黒田博樹ってどんな人?

黒田博樹

黒田博樹

出典topicks.jp

プロフィール

生年月日  1975年2月10日
出身地   大阪府大阪市
身長    185cm
出身校   上宮高等学校、専修大学

略歴

1996年  広島東洋カープにドラフト2位で入団
1997年  プロ初登板 初完投勝利を挙げる
2001年  オールスターに初出場 初の月間MVP獲得 初の2けた勝利
2004年  アテネ五輪に出場し銅メダルを獲得
2005年  15勝で最多勝を獲得。ベストナイン、ゴールデングラブ賞も初受賞
2006年  通算1000奪三振を記録。 防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得
2007年  メジャー移籍。ドジャースと3年総額約40億円で契約
2009年  日本人史上3人目の開幕投手に選ばれる
2012年  ヤンキースに移籍。1年契約の約7億7000万円で契約  メジャー通算50勝を達成
2013年  日米通算2000三振を達成
2014年  日本投手初の5年連続2桁勝利を達成
2015年  広島に8年ぶりに復帰。1年契約で年俸4億円プラス出来高払い
2016年  広島東洋カープ25年ぶりのリーグ優勝 日・米通算200勝達成

黒田博樹の凄い所とは?

黒田投手の凄い所は、プロ野球で作った数々の実績もそうですが、それ以上にここまで来るに至った経緯が凄すぎます。

黒田投手が野球選手として活躍しだしたのは、プロに入って5年目の2001年からです。

それまではほとんど注目を浴びる事も無く、ただ黙々と練習を続ける日々でした。

プロに入る選手と言うのは、だいたいが甲子園や大学野球で活躍した人と言うイメージがありますが、黒田投手に関しては高校時代はずっと控え投手で、公式戦では1イニングもマウンドに上がっていません。

大学時代も150キロの速球が一部で注目されたものの、他には特に目立った活躍は無く、たまたま目に留まった広島カープのスカウトに声をかけられたのが、プロ入りのきっかけでした。

そして、プロに入ってからも、2軍の試合でメッタ打ちにされて1イニング10失点するなど、顔面蒼白でベンチに戻る事もある状態でした。

その後は何とか1軍に呼ばれるようになったものの、3年目くらいまでは負け越す状態が続き、首脳陣の期待を裏切り続ける事になります。

普通、ここまでうまく行かない状況が続けば、途中で心が折れて辞める場合が多いと思いますが、黒田投手は一度も心が折れる事無く、ただ自分を信じて努力し続けました。

そうやってコツコツと努力した成果が出始めるのが、2001年のシーズンからです。

黒田投手の覚醒

一番の変化は、変化球を積極的に覚えて、ひたすらそれがモノになるまで一生懸命練習した事です。

例え150キロを超える速球やスライダーを持っていても、それを待ってるプロの打者には簡単に打たれてしまいます。

しかし、そこに切れの良いカーブやシュートが加わる事で球に緩急の変化がつき、打者はタイミングを合わせずらくなって打てなくなります。

黒田投手はこうした投球を覚えて自分の物にした事で、2001年には初二ケタ勝利、2005年には15勝をあげて最多勝、さらにゴールデングラブ賞、ベストナインにも選出されるまでに急成長します!

さらに、2006年には1.85という驚異的な防御率で最優秀防御率のタイトルも獲得しています!

何とか上へあがる為に、不器用ながらも必死で努力し続けた結果、ようやく才能が開花した瞬間でした。

カープ時代の黒田投手

出典full-count.jp

この結果で、完全に自信を付けた黒田投手は、満を持して2008年からメジャーに挑戦する事になります。

メジャーリーグでさらに覚醒

メジャーに行くと、さらに黒田投手の力は覚醒していきます!

ドジャースでの黒田投手

出典matome.naver.jp

初年度からにいきなり、7回終了時点まで完全試合の好投を見せ、もし成功していたら日本人メジャー初の快挙となっていました。

結局、8回にヒット一本を許してしまいましたが、新人投手が8回途中まで完全試合を続けるのは、史上2人目だったそうです。

これだけ見ても、黒田投手が十分メジャーで通用する能力がある事が分かります。

その後、3年目からはずっと2ケタ勝利を続け、2012年には自身最高の16勝をあげるなど、メジャーリーグでも「エース」と呼ばれる存在となりました。

黒田投手の男気

そんなまだまだ絶頂期で、メジャーからも20億円という巨額の年俸でのオファーがあるのにもかかわらず、それを蹴って黒田投手は2015年に日本の広島カープへ戻ってきました。

理由は、最後にプレーをするなら日本の、しかも自分を育ててくれた広島カープでプレーしたいと言う思いからでした。

現役でやれてると言っても、体はすでに40歳を超えているので、広島カープへ帰るなら「今しかない」と思ったそうです。

また、めちゃくちゃかっこいいのが、メジャーで通用しなくなったから帰ったのでは無く、現役バリバリの状態で帰りたかったとも語っています!

とは言え、20億円のオファーを蹴って4億円のチームへ行くと言うのは、なかなか出来る事ではありません。

この世には決してお金では解決できない、信念や魂みたいな物があると、黒田投手の男気から学ばせてもらった気がします(笑)

そんな黒田投手が野球を始めるきっかけとは、一体何だったのでしょう?

黒田博樹と野球との出会い

黒田投手の父親である黒田一博さんは、元プロ野球選手です。

南海ホークスで外野手としてプレーしていて、引退後は「クロダスポーツ」と言うスポーツ店を営んで生計を立てていました。

お母さんも元体育教師で、64年の東京オリンピックで砲丸投げの候補にまでなっています。

そんな体育会系の家で育った黒田投手は、お父さんの影響からか、小学2年の時に地元の少年野球チームに入部し、本格的に野球に取り組むようになります。

しかし、元プロ野球選手の息子だからと、かなり期待されていたものの、いざ練習を始めると投げてはストライクは入らないし、打ってもボテボテのゴロかり、走りも遅いし、なにをやらせてもどん臭かったらしいです(笑)

当時の黒田投手を知る人達は、口をそろえて「彼がプロに行ける選手になるとは夢にも思わなかった」と言っています。

それでも、少年野球時代のどんなに厳しい練習にも必ず顔をだして、特に厳しかった高校の時はずっと控え投手だったのにもかかわらず、ハードな練習に3年間一度も休まず出ています。

こうした努力を出来る精神こそが、黒田投手の最大の才能だったのかも知れません。

そして、やはり何事も「決してあきらめない」と言うのが、黒田投手から学べる一番大切な事のように思います!

黒田博樹の私生活について

黒田投手は2001年に、妻・雅代さんと結婚しています。

雅代さんは黒田投手より1歳年上で、現在2人の娘さんがいるようですね。

長女は中学生と言う事なので、結婚後しばらして生まれたのだと思います。
画像などの情報はほとんど出回って無いので、どんな娘さんなのかはわかりません。

現在、奥さんと娘さんは引き続きロサンゼルスに住んでいるようです。

今シーズンが終わったら、とりあえず黒田投手も再びアメリカへ戻るのかも知れませんね。

そして、黒田投手の両親は共にガンで亡くなっています。

その事からか、黒田投手はガンの研究や啓発を行う活動に多額の寄付をしていて、ロサンゼルスのメディアに紹介されたこともあるそうです。

両親がガンで亡くなってる事を考えると、遺伝的に黒田投手もガン体質の可能性があるので、とても心配ですね・・・。

また、2015年に黒田投手の男気に感動したB’zが、黒田投手のために「RED」と言う曲を書きおろしています。

B’zがジャンルを問わず、一個人のために楽曲を提供するのは今回が初となるので、とても貴重な楽曲です。

黒田投手は高校時代からB’zが大好きだったようなので、めちゃくちゃ嬉しかった事でしょう(笑)

そして、黒田投手はイタズラも大好きで、同僚の新井貴浩選手の荷物に消火器を入れるイタズラをして、荒い選手がそのまま気付かず持って帰ったと言うエピソードもあります(笑)

黒田投手の今後

黒田投手の今後について色々言われていますが、引退後は監督やコーチをやる事にあまり関心が無いとみられています。

恐らく、アメリカの家族のもとへ帰って、悠々自適な生活を送るのではないでしょうか。

しかし、これだけの人を野球界が放っておく訳がないと思うので、やはり引退すると相当なオファーがあらゆる所から来ると思います。

すぐにやるかどうかは別にして、いずれはどこかでコーチや監督業に就くのではないでしょうか(笑)

どちらにしても、今後も黒田博樹はずっと注目され続けると思います!

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