現在、世界的に活躍するバイオリニストの五嶋みどりさんと五嶋龍さんを育てたのが、母親である五嶋節さんです。
五嶋節さん自身もバイオリンを弾きますが、それ以上に子供の才能を見出してそれを育てる能力の方が長けていました。
五嶋節さんは一体どんな教育をして、二人の子供を世界的なバイオリニストへと育てたのでしょう?
今日は五嶋節さんについて調べてみました。
目次
五嶋節とはどんな人?
五嶋節(ごとう せつ)
プロフィール
生年月日 1949年3月29日
出身地 大阪府守口市
五嶋節さんの画像はこちら
五嶋節さんは、5才からバイオリンを始めています。
お姉さんはピアノを習っていたそうです。
祖父は大阪府守口の市長を全国最多の9期連続で務めた方で、家はそれなりに裕福だったと思います。
五嶋節さんの両親が楽器を習わせた理由は、戦後の混乱で日本がこの先どうなるのか分からなかったので、女性でも自立できるようにと言う思いで習わせたそうです。
そして、親の期待通りに高校は相愛高等学校音楽科に入学して、そのまま音大へ進みオーケストラではコンサートマスターも務める程音楽の才能が開花します。
大学在学中から、映画音楽や歌謡曲の伴奏などの仕事もするなど、すでにプロとしてやっていけるだけの技術を身につけていました。
そんな中、親に内緒でドイツ留学の試験を勝手に受けて合格するも反対され、東京のオーケストラのオーディションに受かっても祖父に反対され、挙句の果てにはバイオリンを取り上げられてしまいます。
五嶋節さんはかなり芯の通った性格で、度々学校の教師や親などと衝突していたようです。
そういった事情で、何とか落ち着かせようとした母親が、お見合いを勧めて「バイオリンを返してもらう」という条件で1970年に結婚する事になりました。
そして翌年の1971年に五嶋みどりさんが誕生しています。
家族の反対を押し切り全てを捨ててアメリカへ
五嶋みどりさんが3才の時、娘の非凡な才能に気付いた五嶋節さんは自らバイオリンの指導に当たります。
そうして順調に成長した五嶋みどりさんが8才の時に演奏したテープが、ジュリアード音楽院の高名な音楽教授ドロシー・ディレイの耳に届きます。
それがキッカケで、ディレイのクラスに入学する為のオーディションに招かれる事になり、五嶋節さんはこの招待に飛びつき、夫や家族の反対を押し切って渡米し、後に夫とも離婚する事となります。
しかし、もともと五嶋節さんはずっと音楽の世界で生きたいと考えていました。
でも、昔の風習からか祖父や親に反対され、自分は自由に音楽の道へと進めませんでした。
挙句の果てに好きなバイオリンまで取り上げられて、言わばバイオリンを取り戻すために無理やり結婚したようなものです。
そんな中、娘が自分と同じような才能があり、しかもジュリアード音楽院と言う最高の環境で学べるチャンスが目の前にあれば、自分が出来なかった事を娘に託したくなるのは何か分かる気がします。
恐らく、娘の為でもあり自分の夢でもあるので、全てを捨ててアメリカへ行ったのだと思います!
その甲斐あって、後に五嶋みどりさんは世界的なバイオリニストへと成長しました!
その辺の事をまとめたのがこちらの記事になります。
五嶋龍の父親 金城摩承との出会いと再婚
五嶋節さんは日本の家族とほとんど縁を切った状態でアメリカへ行ったので、生活はかなり大変だったようです。
そんな中で、五嶋龍さんの父親となる金城摩承(かねしろまこと)さんと出会います。
金城摩承さんは6才からバイオリンを始め、桐朋学園大学のバイオリン科に入学して2年経った頃にジュリアード音楽院へバイオリニストになるために留学しました。
金城摩承さんが師事していたのが、五嶋みどりさんの先生でもあるドロシー・ディレイでした。
五嶋みどりさんが師事していた頃は、金城摩承さんはすでにジュリアード音楽院を卒業していましたが、ドロシー・ディレイにアシスタントとして採用されていた事で五嶋親子との接点が生まれます。
ただ、五嶋節さんと出会った頃の金城摩承さんは、ジュリアード音楽院に留学していた日本人女性と付き合っていて、後にその女性と結婚しました。
その際、その女性とも知り合いだった事から、五嶋節さんは金城摩承さんの結婚式に参加しています。
その後、五嶋みどりさんのレッスンで顔を合わせる事が多くなった事もあってか、金城摩承さんと五嶋節さんはどんどん惹かれ合って行き、とうとう金城摩承さんは結婚した妻に離婚を申し出る事になります。
しかし、その申し出に納得出来ない妻は、金城摩承さんにある条件を出します。
それは、離婚するなら「音楽を捨てること」です。
恐らく別れたくなかった妻は、ある意味人生をかけて取り組んでいた音楽を金城摩承さんが捨てれるはずは無いと思い、その条件を出したのだと思います。
しかし、金城摩承さんはそれを承諾し離婚が成立しました。
人生をかけてた音楽を捨ててもいいと思えるほど、五嶋節さんとの生活に魅力を感じたのですね。
ここではあっさりと書いてますが、完全に不倫の関係なので恐らく当事者同士は昼ドラ並みのドロドロ関係が展開されていたのだと思います・・・。
ただ、男にそこまで思わせるなんて、やはり五嶋節さんは只者では無いですね。
そして、音楽を捨てた金城摩承さんですが、その後エール大学でMBAを取得しソニーに就職するなど、ビジネスマンに転じて大成功しています。
また、順調にキャリアを重ねセガの現地法人に転職して副社長にまで登りつめますが、企業の買収とか株取得による経営権争いなどで45歳で取締役を退いるようです。
五嶋節さんとの結婚については、両家族の親に反対されていた事から当初は「結婚はしない」と決めていたものの、娘のみどりさんに「いい年して、結婚したら」と言われた事で決意します。
その時、五嶋みどりさん17才だったので1988年頃に結婚されたようですね。
五嶋龍の誕生
そして、その頃にちょうど五嶋龍さんが生まれています。
父親が金城なのに五嶋龍さんの性が金城でないのは、結婚前に生まれたからと言われています。
五嶋龍さんは、完全にバイオリンをやるために生まれてきたようなものです。
物心つく前から、周りはバイオリンのスペシャリストしかいないのですから・・・。
父も母も姉もバイオリンのスペシャリストの家庭なんて、奇跡的な家庭です!
ただ、どんなに恵まれた環境であっても、本人に才能が無ければ優れたバイオリニストにはなれないので、五嶋みどりさん同様、五嶋龍さんにも才能があったと言う事ですね。
そして、その才能を極限にまで伸ばして二人の子供を世界的なバイオリニストに育てたのが五嶋節さん。
その事について書かれた本「「天才」の育て方 (講談社現代新書)」が出版されてますが、この本はタイトル通りの本では無く、ただ母親としての日常を綴ったエッセイとなっています。
しかし、そのエッセイの中に子育ての役に立つヒントがいっぱい書かれているので、子育てをしてる方にとってはかなりのプラスになる本だと思います。
五嶋節さんは現在、株式会社オフィスGOTOの代表取締役となって、五嶋龍さんのマネイジメントをされています。
夫の金城摩承さんも後に五嶋性となって、現在は「五嶋摩承」となっています。
願わくば、五嶋節さんには英才教育のプロとして、他の日本の才能ある子供達も世界的なアーティストへ導くような活動をもっとして欲しいなと思いました。
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終わりに
五嶋節さんの人生は本当にすごいなと思います。
普通の人にはなかなかマネ出来ません。
色んな面での行動力もすごいですが、教育する事に関しては本当に天才的な人だと思います。
こういう方がもっと一般の教育で活動してくれたら、世の中がもっと良くなるのではないでしょうか。
コメント
きっと全て事実でしょう。面白く読んだ。