2017年5月に突然今季限りの引退を表明した宮里藍選手!
高校生の頃から天才ゴルファーと騒がれ、2003年には史上初の高校生プロゴルファーとなりました。
そして、プロになってからもどんどん活躍し続けて、2005年にはワールドカップ女子ゴルフに日本代表として出場し、見事優勝して世界一となりました。
そんな宮里藍選手の年収や彼氏と言われる方との結婚はどうなのでしょう?
また、すごい経歴と両親や兄弟の関係はどんな感じなのでしょうか?
ちょっと気になったので調べてみました!
目次
宮里藍ってどんな人?
宮里藍(みやざと あい)
プロフィール
生年月日 1985年6月19日
出身地 沖縄県国頭郡東村
身長 155cm
血液型 B型
略歴
1989年 4歳からゴルフを始める
2002年 釜山アジア大会で金メダルを獲得
2003年 日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝
2003年 10月にプロ宣言をする
2004年 年間獲得賞金額が1億円を突破する
2005年 第1回ワールドカップ女子ゴルフで優勝
2006年 ロサンゼルスを拠点に、米国ツアーを主戦場
2009年 米国女子賞金ランキング3位になる
2010年 日本人初となる世界ランキング1位となる
2012年 「ウィリアム&モージー・パウエル賞」受賞
2017年 引退を表明する
宮里藍のすごい経歴とは?
宮里藍選手は4歳からゴルフを始めました。
レッスンプロである父親の指導で兄2人が先にゴルフを始めていた事もあり、兄弟で切磋琢磨しながらで腕を磨いて行きました。
そして、高校生になる頃にはかなりの実力を身につけていて、高校2年の時には「釜山アジア大会」で金メダルを獲得しています。
さらに、2003年に高校3年生で「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」で優勝し、アマチュアチャンピオンになるとその数ヶ月後にプロ宣言して、史上初の高校生プロゴルファーとなりました。
そして、翌年2004年にはいきなり獲得賞金が1億円を突破するなど、プロ1年目から大活躍し、スポーツニュースでは連日のように宮里藍選手の話題でいっぱいでした。
また、2005年にはその年から開催された、「第1回ワールドカップ女子ゴルフ」に日本代表として出場し、アメリカや韓国など強豪を含めた20ヶ国の中で見事優勝しています!
さらに、2005年は史上最年少の20歳3か月でのツアー通算10勝を達成し、最年少賞金女王の可能性もありましたが、最終戦を欠場した為に2位となりました。
そして、2006年からは拠点をアメリカに移す為に、米国LPGAツアーへの参戦を目指してツアー出場資格を懸けた最終予選会に出場しました。
結果はトータル17アンダー、2位と12打差と圧勝し見事1位で2006年の米国LPGAツアーへの参戦権を獲得しています!
そして、2006年から導入された女子の世界ランキングですが、そこでも宮里藍選手は最初から6位にランキングされ賞金ランキングでも22位に入りました。
しかし、2年目は不調となり連続5大会も予選落ちするなど、自分のゴルフが出来なくなっていました。
その後もしばらく不調は続き、回復し始めたのは2009年からでした。
2009年度はフランスで行われた大会で、LPGAツアー初優勝を果たすなど米国女子賞金ランキングでも3位となり、これまでに無い飛躍の年となっています!
そして2010年は、ツアー開幕から2週連続優勝を飾るなど絶好調で、この2週連続での優勝はLPGAツアーとしては44年ぶりの快挙で、日本人としては初の事でした。
そして、その後も2勝して1987年に岡本綾子選手が記録した、日本人最多のシーズン4勝に並び、6月21日付けで日本人初となる世界ランキング1位となりました。
しかし、その後は2012年に2勝を挙げるも、それ以後は優勝からは遠ざかり今ひとつ成績がふるわない年が続きます。
一説には、現在の女子ゴルフはパワー重視となっていて、飛距離が出せないと勝てなくなっているそうです。
なので、ここ5年くらいで一気にその波が押し寄せ、小柄でパワーの無い宮里藍選手は勝てなくなってしまったと言われています。
それでも、何とか対応しようとこれまで続けて来ましたが、もはや自分のゴルフでは今の女子ゴルフには通用しないと悟り、これ以上続けるモチベーションが維持出来なくなって、2017年限りで引退を表明しました。
宮里藍の両親や兄弟は?
宮里藍選手の父親は宮里優さんで、沖縄でレッスンプロとして活動しています。
2017年現在は70歳となっています。
しかし、最初からレッスンプロとして活動していたわけでは無く、プロテストに合格した後ツアーに参戦した経歴はあるそうですが、成績は振るわず無名のプロゴルファーでした。
なので、プロゴルファーは諦めてその後は沖縄県で公務員として働いていました。
しかし、1991年に住んでいた地域の村長選に、仲間に担がれて出馬したものの落選し、この為に仕事も辞めていたので無職となってしまいます。
担いだ仲間も、負けた途端自分の保身の為に宮里優さんからは離れていきました。
そして、出馬した理由が当時の村政に疑問を抱いての事だったので、言わば敵が勝ってしまった以上それに歯向かったと言う事で、それ以後は肩身の狭い思いをする事になります。
選挙の後、一度就職活動をするものの、政敵の圧力がかかりダメになったそうです。
そうして、宮里家の収入は母親である宮里豊子さんの公務員収集のみとなってしまい、2年間は貯金ゼロのギリギリの生活が続きました。
あまりにもひどい状況に、一度は自殺も考えたそうですが、その後は自宅から30分程離れた場所で、ゴルフのレッスンプロの職が見つかり、何とか難を逃れることができました。
そして、父親がゴルフ練習場のレッスンプロとなってからは、子供たちもそこに通い父親の指導のもと、日々腕を磨いていきました。
宮里藍の兄弟は?
宮里藍選手の一番上の兄は宮里聖志(きよし)選手で、1999年にプロゴルファーとなっています。
プロフィール
生年月日 1977年2月28日
身長 166cm
体重 82kg
血液型 A型
宮里聖志選手は、2004年に「アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント」で初優勝していますが、以後はとりわけ目立った成績はありません。
賞金ランキングも日本男子で2005年の27位(¥42,866,951)が最高ですが、これだけ稼げるだけでも十分すごいですね(@_@)
そして、次男は宮里優作選手で、2003年にプロデビューをしています。
プロフィール
生年月日 1980年6月19日
身長 170cm
体重 70kg
血液型 A型
宮里優作選手は、宮里藍選手と同じように学生から活躍していて、2000年の20歳の時には「日本学生ゴルフ選手権競技」で優勝し、以後2002年まで3連覇を果たしています。
また、2001年には「日本アマチュアゴルフ選手権競技」も制して、アマチュアチャンピオンにも輝きました。
しかし、プロ転向後はなかなか優勝が出来ず初優勝はプロデビューから10年後の2013年「ゴルフ日本シリーズ最終日」での事でした。
現在までに、日本ツアー優勝は5回と賞金ランキングの最高は、2015年の2位(¥103,999,119円)が最高です。
しかし、2017年は絶好調で、5月の時点でツアーも2勝して賞金ランキングもトップとなっていましたが、案の定そのまま好調をキープして賞金王に輝きました!
獲得賞金は、なんと182,831,982円となっていて、今後のさらなる活躍が期待されています!
また、宮里藍選手と兄達の関係は良好で、やはり年の離れた妹と言う事でかなり可愛がられて育ったそうです。
しかし、プロゴルファーとしての実力は妹の宮里藍選手の方が勝っていた為、兄2人は
「藍ちゃんは僕の師匠。爪の垢を煎じて飲んでいる」
と、平然と言ってのけます。
そして、アメリカとで戦う妹に毎日のようにメールを送り、国際電話などもかけて話もよくするそうです。
なので、宮里藍選手がここまで頑張ってこれたのも、2人の優しい兄がいたからかも知れません。
彼氏との結婚や年収は?
現在、宮里藍選手の彼氏と言われてる方は、マネージャーをやっている「たくみ」さんと言う方のようです。
名字なのか名前なのかは分かりませんでしたが、年齢は30代で英語が堪能なのだそうです。
また、すでに両親には紹介済みで家族ぐるみの仲だと言う話です。
なので、引退の理由は彼氏と結婚するからでは?と噂になりましたが、引退会見でそれはきっぱりと否定されています。
しかし、記者会見ではそう語っていたものの、今シーズンが終わってちょっと落ち着いた頃に、結婚というニュースが流れてくる可能性もあるかも知れません。
そんなニュースが出ればまた追記したいと思います!
そして、宮里藍選手の年収はどれくらいなのでしょうか?
一時期は日本のツアー獲得賞金とCMなどの収入で、推定年収は4億円と言われていました。
しかし、現在はアメリカでのツアーもかなり不振で、2016年の獲得賞金は約3000万円でした。
恐らく、2017年も優勝とかが無いと、前年度と同じかもっと低い可能性があります。
ただ、アメリカでの生涯獲得賞金は約9億円となっているので、日本で稼いだ賞金などを合わせると、今まで稼いだ総額は軽く10億円は超えていると思われます。
そう考えると、お金を無理に稼ぐ必要が無いのに、勝てないゴルフを続けるモチベーションが保てないのは分かる気がしますね・・・。
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終わりに
一時期は、本当に宮里藍選手の話題でずっと回っていましたが、最近はほとんど見かけなくなっていました。
その原因が女子プロゴルフの勝ち方が、パワー重視に切り替わっていた為とは思いもよりませんでしたが、やはり時代は確実に変わっていくものですね。
しかし、当時の宮里藍選手の活躍があったからこそ、現在の女子プロゴルフが発展したとも言えるので、やはり宮里藍選手の功績は大きいのでは無いでしょうか。
今後はどうされるのかは分かりませんが、出来ればアメリカで得た貴重な経験を後進に伝えて欲しいと願います!