丹下健三の妻や子供の現在は?代表作や息子の建築も世界的に有名?

丹下健三さんは、日本を代表する世界的に有名な建築家として知られています!

特に、東京オリンピックで使用された代々木・国立屋内総合競技場は、柱を一切使わない画期的な建築で話題となり、一躍世界的に注目されるようになりました。

他にも東京都庁舎第一本庁舎や横浜美術館、グラン・テクラン(パリ)、BMWイタリア本社ビル(イタリア)など国内外で数え切れないほどの素晴らしい建築を残しています!

そんな丹下健三さん妻や子供はどんな人なのでしょう?

また、これまでの代表作や息子も建築家ですが、その評価はどうなのでしょうか?

ちょっと気になったので調べてみました!

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丹下健三ってどんな人?

プロフィール

生年月日 1913年9月4日~2005年3月22日(91歳没)
出身地  大阪府堺市
学歴   東京帝国大学卒

丹下健三さんは、1913年に銀行員の父親丹下辰世(ときよ)と妻テイの三男として、大阪堺市で生まれました。

その後、銀行員だった父親の転勤で中国の漢口へ移り住みますが、7歳の頃に再び日本の愛媛県に戻り今治市の小学校へ編入しています。

そして、そのまま中学も今治の中学を卒業し、1930年に飛び級で旧制広島高校(現・広島大学)理科甲類に進学、そこの図書室にあった雑誌で見たル・コルビジェの建築に感動し、建築家を志すようになりました。

ただ、1933年〜1934年にかけて、東京帝国大学建築科の受験に2度失敗していて、さらに東北帝国大学金属学科も受験していますが、こちらも落第しています。

その後は徴兵逃れのため日本大学芸術学部映画学科に在籍しますがほとんど登校せず、ヴァレリー、ジード、プルースト、ドストエフスキー、ヘーゲル、ハイデッガーなどの小説や哲学書を読み耽って過ごしました。

そして、1935年に晴れて東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学し、内田祥三、岸田日出刀、武藤清に師事して建築を学びます。

また、1938年には在籍中の東京帝国大学工学部建築科より辰野賞を受賞し、大学卒業後は前川國男建築事務所に入所し、岸記念体育会館(初代)を手がけたりしています。

しかし、その後は再び東京帝国大学の大学院に入学し、卒業後は同大学建築科助教授に就任すると同時に「丹下研究室」を作り、そこから数々の傑作を生み出す事となりました。

そして、1959年には東京大学から工学博士の学位を与えられ、1963年に新設された東京大学工学部都市工学科教授に就任しています。

その後は、東京オリンピック国立屋内総合競技場(代々木体育館)の建築を皮切りに、次々と傑作建築を生み出し、世界的に有名な建築家となりましたが、2005年に心不全で91歳で亡くなりました。

丹下健三の妻はどんな人?

丹下健三さんは二度結婚していて、最初の妻は加藤敏子さんで1947年に結婚しています。

加藤敏子さんの詳しい情報は出ていませんでしたが、丹下健三さんの建築設計以外の、多方面の交流や社会活動を支えたと言われています。

また、丹下健三さんとの間に一女をもうけていますが、1970年ごろに離婚しています。

そして、2番目の妻は丹下孝子さんで1973年に結婚し、丹下健三さんが2005年に亡くなるまでパートナーとして、国際的な交流や活動を支えました。

また、丹下孝子さんについての情報も出ていませんので、どこで出会ったのかなどの詳しい情報も無いのですが、丹下健三さんが60歳の時に結婚しているのでかなり年齢差はあると言う事です。

そして、2011年に森美術館で行われた展覧会で、特別協力者として「丹下孝子さん」の名前があったので、少なくとも2011年までは存命なのは確かです。

丹下健三の子供もすごい人?

丹下健三さんの長女は「内田道子さん」と言いますが、名字が変わってるので結婚されてる事以外は特に詳しい情報は出てきませんでした。

また、建築関係には「内田道子」と言う名前は見当たらないので、恐らく長女は建築とは関係の無い道に進んだのではないかと思われます。

そして、長男の「丹下憲孝(のりたか)さん」は、後妻の孝子さんの連れ子と言う事なので、丹下健三さんとの血のつながりは無いようです。

年齢は1958年生まれなので、2018年では60歳となります。

また、息子の丹下憲孝さんも後に建築家となっていて、1985年に父親の丹下健三・都市・建築設計研究所入所し、現在は「丹下都市建築設計」を設立して代表となっています。

そして、やはり世界的に有名な建築家の家で育った事で、丹下憲孝さんはかなり大変だったようです。

例えば、丹下憲孝さんが子供の頃は、両親揃って仕事で海外へ出かけて1ヶ月くらい帰らない事が頻繁にあり、お手伝いさんは居たものの、ほとんど一人で過ごす事が多かったと言います。

そういう家庭環境もあり、丹下憲孝さんは14歳の時にスイスの全寮制の学校であるル・ロゼに留学する事を選び、その後はハーバード大学大学院建築学専門課程修了した後、建築家となりました。

主な代表作は、 モード学園コクーンタワー、アップリカ葛西本社ビル、鬼怒川金谷ホテル、などで、他には海外での仕事が多いようです。

コクーンタワー出典:https://www.instagram.com/

ただ、色々良い建築を作ってるわりにそれほど特別な評価は受けていないので、やはりそれだけ父親の功績が偉大過ぎると言う事なのかも知れません。

しかし、父親の建築精神はしっかり受け継いでるので、今後はどんどん画期的な建築を作っていずれ父親を超える建築物を作る可能性もあるのではないでしょうか。

今後の丹下憲孝さんの作る建築に注目です!

丹下健三の代表作ってどんなの?

① 広島平和記念公園(広島県)

出典:https://www.instagram.com/

広島平和記念公園は1955年に作られ、現在は国の名勝地として知られています。

この公園が作られたいきさつは、世界に向けて人類の平和を願う目的と、過去の過ちを繰り返さないために、爆心地に近い現在地に作られました。

ちなみに設計は、コンペによって丹下健三さんが勝ち取り、その奥にある「広島平和会館原爆記念陳列館」も丹下健三さんの設計で、現在は重要文化財に指定されています。

② 日南市文化センター(宮崎県)

日南市文化センターは1962年に、日南市制施行20周年の記念事業として建てられました。

そして、この建物の特徴としては外壁が全て内側に傾斜していて、一切垂直な部分が無い事です。

また、裏にある窓や排水口のデザインが斬新で面白く、1960年代に建てられたとは思えないほど今でも新しさを感じる建物となっています。

ちなみに、日南市文化センターは現存する丹下健三建築では唯一九州で見られる建築ですので、近くの方は是非見に行ってみて下さい!

③ 東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都)

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東京カテドラル聖マリア大聖堂は1964年に建てられた、一見教会とは思えない斬新なデザインが特徴の教会です。

カテドラルとは、“カテドラ”、つまり司教座のある教会をさす言葉で、東京大司教が公に儀式を司式し、教え指導する教会となっています。

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/p/BeGcab-nOiO/?taken-at=729254686

そして、コンクリート打ちっぱなしの中は、まるでSF映画に出てきそうな感じで、こちらも1960年代に建てられとは思えないほど斬新で近代的な建物となっています。

④ 国立代々木競技場(東京都)

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/p/BeG0G7TnCPE/?taken-at=62754

国立代々木競技場は、1964年に東京オリンピックのために建設された体育館です。

建物の特徴としては、第一体育館・第二体育館とも、吊り橋と同様の吊り構造の技術を用いていて、第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱から、屋根全体が吊り下げられています。

なので、この構造では内部に柱が無い事から観客が全方向から競技に集中できるようになっている画期的な建築として、世界中から注目を集めました。

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/p/BPU8dlTDBvL/?taken-at=62754

そして、この国立代々木競技場の建築から「日本の建築の凄さ」が本格的に世界に知れ渡るようになったと言われています。

⑤ 山梨文化会館(山梨県)

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/p/7Ut-QdQcyf/?taken-at=272654848

山梨文化会館は、1966年に建てられた丹下健三さんの代表作の一つで、本人も特に気に入っていると名言しています。

そして、建物の特徴は、16本の円柱と梁とで支えられた存在感のある外観が特徴となっています。

こちらも1960年代に建てられたとは思えないほど、今見ても斬新で存在感抜群の建物となっていて、丹下健三さん自身もお気に入りの一つと言うのも理解できます。

⑥ 駐日クウェート大使館(東京都)

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駐日クウェート大使館は、1970年に建てられたもので、1970年代に丹下健三さんが日本国内に残した数少ない建築物です。

建物の特徴としては、2本の太いコア・シャフトによって支えられた上層部と下層部との2つの大きなボリュームで構成されるダイナミックな造形が最大の特徴となっています。

特に上層部の浮遊感はどこにも無い斬新な外観で、1970年代にこれだけユニークなものを作れるなんて、本当にすごいの一言です!

ただ、駐日クウェート大使館は2018年4月に建て替えられると言う事なので、残念ながらこの傑作は失われてしまいます。

⑦ 東京都庁舎(東京都)

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/p/BO3bFYkApPd/?taken-at=189468664780603

東京都庁舎は、1990年12月に完成した丹下健三さん後期の代表作の一つです。

建物の特徴は、パリのノートルダム大聖堂の形をモチーフにしたと言われる個性的な外観で、高さは243メートルもあり、完成時は日本一を誇っていました。

そして、今は東京の観光名所のひとつとなっていて、45階にある地上202メートルの展望台は無料で一般公開され、毎年国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。

⑧ フジテレビ本社ビル

丹下健三の建築出典:https://www.instagram.com/

フジテレビ本社ビルは、1996年に完成した丹下健三さん後期の代表作の一つです。

こちらは、丹下健三さんが指揮を取った最後の建築とも言われているので、ある意味「遺作」のようなものなのかも知れません。

そして、建物の特徴は何と言っても一目見たら忘れられないあの独特の「球体」ではないでしょうか。

あの球体は、直径が32mあり周りにチタンパネルが張り込まれているのでピカピカしています。

また、中は展望台となっていて、レインボーブリッジ越しの東京タワーや東京スカイツリー、富士山など、東京らしい景色が270度パノラマで一望できるようになっています。

終わりに

丹下健三さんは2度結婚していて、実子は最初の妻の加藤敏子さんとの間に生まれた内田道子さんだけと思われます。

そして、現在、建築家として活躍している息子の丹下憲孝さんは後妻の孝子さんの連れ子と言う事なので、血のつながりはありません。

しかし、後に父親の会社に入社して色々直接学んでいるので、しっかり丹下健三さんの意思は受け継いで優れた建築家となっています。

ただ、今のところ父親を超えるような建築物はまだ作れていないのか、それほど世界中で知られるような建築家にはなっていないようです。

そして、丹下健三さんの建築物は、現存するだけでも世界中に90個以上はあるので、ここで挙げたのはほんの一部ですが、これだけでも十分凄さが分かる建築家だと思います。

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