フジコヘミングの結婚歴と夫や子供は?兄弟や自宅とすごい年収&ピアノの評価とは?

フジコヘミングさんといえば、老齢でありながらブレイクを果たしたピアニストとして有名です。

キッカケは、1999年に放送されたNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が反響を呼んだ事でした。

ただ、もともと幼い頃から「天才少女」と言われるほどのピアノの実力があった事も、その後の大活躍の要因だと言えます。

さらに、フジコヘミングさんの経歴も非常にドラマチックな内容と言う事もあり、それらも含めて反響を呼んだのでしょう。

そんな、フジコヘミングさんの結婚歴や夫や子供、兄弟などはいるのでしょうか?

また、自宅と現在の年収やピアノの評価はどうなのでしょう?

ちょっと気になったので調べてみました。

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フジコヘミングってどんな人?

プロフィール

本名   ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ

生年月日 1932年12月5日
出身地  ベルリン生まれ→東京育ち
学歴   東京藝術大学卒

フジコヘミングの結婚歴や夫や子供の存在は?

フジコヘミングさんの結婚歴について調べてみましたが、 「結婚している」「結婚していた」と言う記述は一切見つけられませんでした。

なので、現在も独身で恐らく過去にも「結婚していた」と言う事実は無いはずです。

ただ、結婚してなくても、過去に付き合った恋人との間に子供がいる可能性もゼロでは無いので、その辺も調べてみたものの「子供を生んだ」と言う記述もありませんでした。

そう言う事もあり、フジコヘミングさんは「男性を一切近づけない」性格の女性で、子供の頃からピアノだけを見てピアノ一筋に生きてきたのかな?と思いました。

フジコヘミングは恋多き女性だった

しかし、色々調べると過去にはちゃんと男性と恋愛もしていて交際歴も多数あるようです。

そして、フジコヘミングさんは「繊細で優しい表情をする男性に弱い」と言う事で、そう言う男性に「愛してる」などと言われると、すぐにコロッといってしまうと言います。

ただ、これまで交際してきた男性は嘘つきだったり、イカサマ師だったり、女ったらしだったり、お金に汚かったりとロクな男性はいなかったそうです。

なので、男性と交際しても「もう少しマシなのが出てくるかも」と考えているうちに、その恋は醒めてしまう事が多かったと言います。

そういう理由で、若い頃はそれなりに恋愛もしたものの、結局良い男性には巡り合えなかったと言う事ですね。

過去には結婚してもいいと思える相手もいた

ただ、ピアニストはオーケストラと共演する事も多いので、当然、多くの男性音楽家との出会いもあったはずです。

事実、「1年でも結婚したら最高だろうに」と思えた相手は過去に2人くらい居たそうですので、もし結婚出来ていたら子供も1人か2人くらいはいたかも知れません。

ただ、フジコヘミングさんのような芸術家肌の女性と結婚するなら、フジコヘミングさんを「サポートする側」へ回らないと関係が保てないような気もします。

それを考えると、交際は出来ても「結婚」までは至らなかったのかも知れませんね。

また、最近のインタビューでも惹かれた男性の話をしていました。

「彼も猫が好きで、猫を飼っているの。人間よりも猫が好きって言うところがいいなと思って。たまにね、憎たらしい口調でバッバ言う人なのよ。私は、絶対に人を傷つけることは言わない。どんなに怒っても辛抱するけど、彼は違う。たまによくわからない行動をすることもあって、なんだかさっぱりわからないけど、楽しいの。ふふふふ」

出典:週刊女性PRIME

なので、フジコヘミングさんは結婚はしていなくても、いつもどこかで「恋」はしていて、心は常に充実しているのではないでしょうか。

また、フジコヘミングさんは、過去に友人が「子供を抱いてる時が一番幸せを感じる」と言った事に感化されて、養子で子供を持とうとした事がありました。

しかし、知り合いの神父さんに相談した所「あなたは独身だから無理ですよ。恐らく許可が下りないと思います。」と言われ諦める事にしたそうです。

ただ、現在はたくさんのネコを飼っているので、そのネコがある意味フジコヘミングさんの「子供」のようなものと言えますね。

フジコヘミングの兄弟や両親もすごい人?

フジコヘミングさんの両親は、父親がロシア系スウェーデン人「ヨスタ・ゲオルギー・ヘミング」と言う名前で、仕事は画家や建築家として活動していました。

また、母親は日本人で「大月投網子(おおつきとあこ)」さんと言って、フジコヘミングさんと同じピアニストを目指し、ドイツへの音楽留学中に父親と出会い結婚しています。

なので、母親もピアニストで父親も建築家や画家と言う事もあり、両親共に芸術的な才能があって、フジコヘミングさんはそのDNAを完全に受け継いでると言う事になります。

そして、ピアノは当然ピアニストの母親から手ほどきを受け、10歳からはドイツで母がピアノを師事した先生に指導を受けるなど、本格的にピアノに取り組み始めました。

母親のピアノレッスンは超スパルタ

また、母親のピアノの指導は超スパルタだったそうです。

当然、外に遊びに行くのもダメで、辛くてトイレに逃げ込んでも「引っ張り出されて指導を受ける」と言う日々が続いたと言います。

そう考えると、フジコヘミングさんは完全に「ピアノの英才教育」を受けて育ったと言う事になりますね。

ちなみに、母親がピアノを教えた理由は、フジコヘミングさんがまだ2歳くらいの時に、ピアノに登って鳴らした音がとてもきれいだったそうです。

それで「この子にピアノを教えたらすごい事になる」と感じて、ピアノを教えたと言います。

なので、最初からピアニストにするつもりで教えていた為、超スパルタだったのですね。

父親と母親は離婚

ただ、フジコヘミングさんが5歳の時に、家族全員で日本に移住したものの、父親は戦争の色が濃くなってくると強制送還のような形で1人で帰国してしまいました。

その後は家族3人で日本で暮らしますが、時々父親から「スウェーデンで一緒に暮らそう」と電話がかかってきますが、母親がそれを拒否し続けたと言います。

理由は分かりませんが、その頃は母親もピアノを教える職を得ていた為、すでに父親との関係が冷めていたからかも知れません。

そして、フジコヘミングさんがその後ドイツへ留学してから、国籍取得の為にスウェーデンへ移住しますが、その時に父親と一度だけ再会したそうです。

その時、父親はすでにスウェーデンの女性と再婚し、事業を起こして成功していました。なので、母親とはすでに離婚していたと言う事になります。

また、再会した際、父親は「きれいになったね」と声をかけてくれましたが、逆に父親の風貌は幼い頃に別れた「かっこいい父親」の面影は無く、変わり果てていました。

フジコヘミングさんは、その姿に驚愕して「二度と会いたいとは思わなくなった」とも語っています。

なので、同じスウェーデンに住んでいたものの、それ以来父親とも会わなかったのではないでしょうか・・・。

フジコヘミングの兄弟は有名な俳優だった?

フジコヘミングさんの兄弟は、下に2歳年下の弟が1人いるだけなので2人姉弟です。

そして、弟の名前は「大月ウルフ」さんと言って、日本で「俳優」として活動していて、特に1960年代から「特撮モノ」のTVドラマに「悪役」としてよく出演していました。

また、容姿が「外国人」の為に、主に「神父」「外国人役」で出る事が多かったのですが、本人は全く英語が喋れないとの事です。

そして、年齢も80歳を超えてる為、俳優はとっくに引退していると思ったら、2015年に『仮面ライダードライブ』に出演していました。

なので、まだまだ現役の役者さんのようですね。

また、それ以外には、下北沢にある不定期オープンの「カフェ・テアトロ『ラ・カンパネラ』フジ子・ヘミング記念芸術館」の館長も務めています。

そして、フジコヘミングさんのコンサートがあると、ロビーでフジコヘミングさんのグッズなどの販売もしているそうです。

なので、兄弟仲は良く、現在は弟の大月ウルフさんが姉をサポートしているのかも知れません。

また、弟の大月ウルフさんは結婚はしていますが、嫁や子供に関しての情報が無く、フジコヘミングさんに甥や姪がいると言う情報も一切ありません。

それを考えると、ひょっとすると弟の大月ウルフさんも子供に恵まれなかった可能性もありますね。

ただ、弟も職業は「役者」と言う事なので、やはりフジコヘミングさんの家族は芸術的な才能に恵まれた家系だと言うのが分かります。

フジコヘミングは自宅を5件所有

現在、フジコヘミングさんの自宅は、日本では下北沢と京都に1件ずつとフランス・パリに1件、サンタモニカに1件、ベルリンに1件で計5件所有しています。

ただ、基本的に1年の半分はパリの自宅で過ごしていると言うので、他の自宅はコンサートを行う時や気が向いた時のみ使用しているのではないでしょうか。

ちなみにパリの自宅は、1889年に建設された古いアパルトマンで、画家でもあった父親の才能も受け継いだ「自身の絵画を飾る為」に購入したそうです。

なので、パリの自宅はフジコヘミングさんが描いた絵で溢れていて、あれこれ掛け直したりして絵の位置が落ち着くまでに10年はかかったと言います。

また、京都の自宅は宮大工がリフォームした家で、サンタモニカの自宅は緑に囲まれ、ベルリンの自宅はコンパクトで住み心地が良いそうです。

そして、東京の自宅は母親と過ごした思い出が残っているなど、フジコヘミングさんは自宅に対する「こだわり」が相当強く、どこの自宅も快適に過ごせるようになっています。

なので、日本だけで無く海外にも家をいくつも所有すると言う事は、現在は相当な収入があると予測できますね。

フジコヘミングの凄すぎる年収や資産とは?

フジコヘミングさんの年収は一体どれくらいなのでしょうか?

これだけ有名なピアニストになると相当な金額を稼いでると思いますが、ギャラなどが公表されてるわけでは無いので正確な事は誰にも分からないのが実情です。

ただ、分かる範囲で調べてみると、通常のピアニストのギャラは1回の演奏で10万円くらいが相場なのだそうです。

さらに、「ピアニスト」と言ってもにもピンからキリまでいる為、よく結婚式の披露宴などで演奏しているピアニストのギャラは1万円~3万円くらいが相場です。

そして、海外のコンクールで受賞していたり、名前の通った有名なピアニストになると1回の演奏で100万円以上のギャラが発生すると言われています。

なので、仮にフジコヘミングさんが1回のコンサートで100万円のギャラが発生するとすれば、年間平均50公演以上行っている為、単純計算で少なくとも5,000万円の年収となります。

ソロコンサートとオーケストラの出演は別

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ただ、「ソロコンサート」「オーケストラの出演」は違うと思うので、ソロコンサートを行うピアニストのギャラは「1回いくら」と言うものでも無いと思います。

恐らく、チケットの売れ行きなども考慮されるのであれば、ソロコンサートの場合は「歌手のコンサート」と同じような感じなのかも知れません。

そして、フジコヘミングさんのソロコンサートのチケット料金は6,000円~13,000円くらいで、会場の規模はだいたい1,000人くらいの所が多いです。

それで大雑把に計算すると、チケット料金を分かりやすく10,000円として1,000席が完売したら1,000万円となります。

そこから、会場を借りる費用やポスターなどの宣伝費や人件費の経費を引いても、フジコヘミングさんが得る利益は100万円以上は余裕であると言えます。

調べてみると、日本で2,000人規模のコンサート会場を1晩借りても100万円もかかりませんし、宣伝ポスターや人件費にしても、1晩なのでそれほどの大金はかからないでしょう。

それを考えると、残りのほとんどはフジコヘミングさんに入るとすれば、一回のソロコンサートで少なく見ても300万円以上の収入はあるのではないでしょうか。

なので、仮にその収入でソロコンサートを年間50公演するとなれば、軽く1億円以上の年収となり、それを20年間続けてきたとすれば、最低でも20億円以上の資産があると言えます。

もちろん、税金があるので丸々は入っては来ないと思いますが、少なくとも10億円以上の資産があっても不思議ではありません。

CDの売り上げもすごい

さらに、フジコヘミングさんはデビューCD『奇蹟のカンパネラ』が3ヶ月で30万枚を超えて、トータルでは約300万枚売れたと言います。

なので、CDアルバムが1枚3,000円で仮に5%の印税とすると、フジコヘミングさんには1枚につき150円の印税が入り、300万枚売れたのでこのCDだけで4.5億円の収入となります。

さらに、フジコヘミングさんは著書も多数出版しているのでその印税も多いはずです。

特に「フジ子・ヘミング 運命の力」は、2001年に発売されてベストセラーとなった本で、中に書かれている言葉も力強く、落ち込んでる時に読むとめちゃくちゃ励みになる良書です^^

また、フジコヘミングさんの描く素敵な絵も楽しめる為、今でも人気著書の一つとなっています。

それらを考えると、80歳を超えた現在も年収は軽く1億円を超えていて、それだけの年収があれば家も日本と海外と合わせて5件所有する事も十分可能と言えますね。

ただ、ここまで来るまでにフジコヘミングさんは相当な苦労をされています・・・

フジコヘミングの凄すぎる経歴とは?

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フジコヘミングさんは、母親からピアノの英才教育を受け、幼い頃からピアノの才能を開花させて、そのまま東京芸術大学音楽学部へ入学しています。

そして、大学在学中に新人音楽家の登竜門である「第22回NHK毎日コンクール」に2位入賞し、他にも多数の賞を受賞するなど早くからその才能を認められていました。

また、大学卒業後はプロとして本格的な音楽活動に入り、「日本フィルハーモニー交響楽団」など多数の有名オーケストラと共演し実力を磨いて行きます。

ただ、さらに実力を伸ばすために「海外留学」をしようとした所、「無国籍」だという事が発覚しパスポートが取れなかった為、留学できませんでした。

と言うのも、フジコヘミングさんは生まれた時は「スウェーデン国籍」でしたが、18歳になるまで一度もスウェーデンに住んだ経歴が無かった為に、国籍が抹消されたと言う事です。

なので、仕方なく日本でピアニストとして活動しながら、何とか留学できる機会を探る毎日を過ごします。

すると、1961年に「駐日ドイツ大使」の助力で「国立ベルリン音楽大学」へ留学できる事になり、より才能を伸ばすべくベルリンへと渡りました。

ちなみに、無国籍のフジコヘミングさんが国外へ出れた理由は、「難民」として出国したと言う事です。なので、現地での扱いも「難民」なので待遇はひどかったそうです。

ヨーロッパでの厳しい生活

そして、ベルリンに留学して才能を伸ばしたフジコヘミングさんは、留学期間が終わってもそのままヨーロッパに残ってピアニストとして活動します。

ただ、仕事はほとんど無く、生活は非常に苦しく母親の僅かな仕送りと貰った奨学金で何とかやりくりし、ピアニストとして活躍できるチャンスを伺う日々を過ごしました。

するとある時、世界的な音楽家である「レナード・バーンスタイン」の前でピアノを演奏する機会に恵まれ、そこでバーンスタインの目に止まり道が開けます。

その後、作曲や指揮者で有名な「ブルーノ・マデルナ」のソリストとして契約する事になり、ピアニストとして成功できるビッグチャンスに恵まれました。

しかし、リサイタル直前に風邪をこじらせてしまい「聴力を失う」というピアニストとしては致命的なアクシデントに見舞われてしまいます。

その為、予定されていたコンサートは全てキャンセルとなり、フジコヘミングさんはそれから2年間は全く耳が聞こえない状態になった事で、次第に忘れ去られて行きました。

また、風邪をこじらせた原因としては、貧しさから暖房器具が買えず真冬に極寒の部屋で過ごしていたからと言う事です。

それほどまでに、食べるだけで精一杯のようなギリギリの生活だったと言う事なのかも知れません。

なので、やっとの思いで掴んだ「ビッグチャンスを直前で逃す」という最悪の状態となり、その後はピアニストとしてのキャリアを一時中断しなければならなくなりました。

日本に帰国してからの大ブレイク

そして、フジコヘミングさんは耳の治療を兼ねてストックホルムに移住し、そこでピアノ教師の職を得て、教師をしながらピアニストとしても30年間活動していました。

ちなみに聴力は、治療に専念したお陰で片方の耳が40%まで回復したそうです。

その後、母親の死後に帰国し、母校である東京芸大の「旧奏楽堂」などで1995年頃から日本でのコンサート活動を行うようになりました。

ちなみに、帰国した時点では「もう二度と人前で演奏する事は無い」と決めていたそうです。

しかし、時間が経つに連れ、やはり「もう一度ピアノで勝負したい」という気持ちになって、日本でのコンサートに踏み切りました。

すると、その活動の様子が1999年2月放送のNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」で紹介されるとたちまち話題となります。

さらに、放送後に発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売3ヶ月で30万枚のセールスを記録するなど、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなり注目を浴びます。

それだけ、フジコヘミングさんの「生き方とピアノに魅せられた人が多かった」と言う事なのかも知れません。

また、2003年には菅野美穂さん主演でドラマ化もされて、視聴率も20%を超えるなど、一大ブームを巻き起こしました。

その後も、着実にコンサートやCD制作をコンスタントにこなし、今では不動の人気ピアニストとして国内外で多くのファンを魅了し続けています。

ただ、フジコヘミングさんのピアノの評価は賛否両論となっていて、特に専門家は辛口な意見が多いのが特徴です・・・

フジコヘミングのピアノの評価とは?

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フジコヘミングさんのピアノの評価について調べると、「専門家」「素人」で賛否が別れています。

と言うのも、クラシックに詳しい専門家は「楽曲の楽譜」を知っている為、フジコヘミングさんの演奏は、楽譜に無い音を出したりミスタッチが多いと感じるようです。

なので、特にピアノを少しはかじってるような人からの評判はあまり良く無いと感じます。

しかし、素人はそもそもオリジナル曲の正しい楽譜は知らないので、ピアノのメロディーと音色だけで良し悪しを判断する為、「フジコヘミングが好き」となるようです。

また、フジコヘミングさん自身は「一音一音に魂を込めて弾いてる」ので、「少しくらい間違っていても構わない、機械じゃあるまいし」と語っています。

なので、フジコヘミングさん自身も、自分の演奏は楽譜に忠実では無くミスタッチが多い事も十分理解して演奏しています。

それでもなお、フジコヘミングさんのコンサートが行われると常に満席状態なので、「有名人」と言う事もあると思いますが、それだけで20年間も第一線で活躍はできないでしょう。

やはり、聴衆の心を強く惹きつけるだけの「独自の魅力」があるのだと思います。

正確に弾くだけならピアニストはいらない

実際、楽譜を正確に弾くだけなら、コンピューターに正確なデーターを入力して自動で弾かせれば良いだけの事です。

それが聴いていて、どんな演奏よりも「最高」と言えるなら、もはや「ピアニスト」などいらなくなるでしょう。

しかし、やはり同じ楽曲でもピアニストによって解釈が変わり、そのピアニストの思想が音に加わる事でオリジナルの楽曲が2倍にも3倍にも良くなったりするのではないでしょうか。

実際、フジコヘミングさんが最も得意とする超絶技巧の「ラ・カンパネラ」も、専門家は「テンポが遅い」などかなり酷評しています。

確かに他の一流のピアニストの演奏に比べれば、少しスローテンポのように感じます。特に後半のクライマックス部分はテンポが全然違います。

しかし、他のピアニストのスピード感ある完璧な演奏をず~っと聴いていると、だんだんフジコヘミングさんの「ラ・カンパネラ」の味わい深さが際立ってくるのが分かります。

その「味わい深さ」を感じれるようになると、その後はどっぷりフジコヘミングさんの演奏にハマってしまう事間違いなしです。

特にフジコヘミングさんの演奏は「間のとり方」がバツグンに上手く、音の強弱と合わせて「詩情感」たっぷりの音を奏でるのが一番の魅力と言えます。

実際に、目を閉じてフジコヘミングさんの演奏を聴いてると、他のピアニスト以上に感情が揺さぶられて心が暖かくなったり、気持ち良くなったりあらゆる感情が出てきます。

そして、技術的に巧い人の演奏では「すごい!」と言う感動はありますが、フジコヘミングさんの演奏のように心の中まで揺さぶられるような事は「稀」です。

なので、そのピアニストを評価するのはあくまでも「個人の問題」であって、実際に自分が聴いて好きなら、技術的にどうとか関係なく「良いピアニスト」なのではないでしょうか。

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おわりに

フジコヘミングさんの経歴を見ると、他のピアニストと同じように一度は海外へ留学して世界的なピアニストを目指します。

そして、実際に夢を掴む所まで行くものの、身体的なアクシデントにより夢が破れて有名なピアニストにはなれませんでした。

ここまでは他の夢破れたピアニストと同じですが、そこから「NHKの番組」をキッカケにして一気に世界で活躍するピアニストへと駆け上がった所がすごいと言えます。

それも、「それだけの実力があったからこそ」だと言えるので、やはり才能や実力のある人は年齢に関係無く、出る所へ出ればちゃんと認められると言う事なのかも知れません。

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    コメント

    1. キシダ より:

      面白い記事でしたが、父親と『再開』したのではなく『再会』ではないのでそょうか?
      それとも何か意図があって『再開』を使っていたなら失礼しました。

    2. まゆみ より:

      色々なピアニストが弾くラ・カンパネラを聴きましたが、確かに楽譜通り正確に、それもあの速さで弾くピアノ技術は凄いとは思いますが…
      その技術を見せるラ・カンパネラであって、聴かせてくれるラ・カンパネラには思えず、むしろ耳障りになるピアニストもあります。

      しかし、フジコ・ヘミングは
      一つ一つの音をとき聴かせるように、耳ではなく心に響いてくるのです。
      それは、辛かった生き様や叶えきれなかった愛の切なく深い想いが胸に静かに刺さり込んでくるのです。
      愛の夢もまた、深く深く包み込む愛や、激しく燃え上がる想い、安らかで穏やかな愛情が染みてくる演奏で、自然と全身で感じ聴くものになってきます。