村上隆が現代美術家になった驚きの理由や作品の魅力とは?

現代の日本美術を代表するアーティストと言えば、村上隆さんが有名です。

村上隆さん以前の日本を代表するアーティストと言えば、草間彌生さんや岡本太郎さんでした。

もちろん今でも草間彌生さんや岡本太郎さんの作品は人気ですが、世界的なマーケットから見ると、やはり今は村上隆さんの作品の方が人気があるのではないでしょうか。

特に、ルイヴィトンとのコラボが成功した事により、その地位を不動の物にしたと思います!

そんな村上隆さんはどうやって、世界的なアーティストになって行ったのでしょう?

ちょっと気になったので調べてみました!

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村上隆ってどんな人?

生年月日  1962年2月1日
出身地   東京都・板橋区
学歴    東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了

略歴

1991年  個展 「TAKASHI, TAMIYA」で現代美術家デビュー
1993年  日本画科で初めて博士号を取得
1994年  ロックフェラー財団のACCグラントを得て、ニューヨークに留学
2001年  アメリカ・ロサンゼルスで「SUPER FLAT」展が開催され全米で話題となる
2003年  ルイ・ヴィトンの依頼でデザインした鞄が話題となる
2006年  「リトルボーイ展」がニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞
2008年  世界で最も影響力のある100人に選ばれる
2008年  等身大フィギュア「My Lonesome CowBoy」が約16億円される
2010年  フランス・ヴェルサイユ宮殿で「Murakami Versailles」を開催

2016年  「村上隆の五百羅漢図展」で第66回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞

村上隆の魅力とは?

村上隆の名前が一躍有名になったのは、2001年にアメリカで開催された「SUPER FLAT展」の成功からです。

日本の美術雑誌やTV番組でもこぞって特集が組まれ、その名が一気に知れ渡りました。

スーパフラットの概念は以下の通りです。

「平面的で二次元的な絵画空間を持ち、余白が多く、また、遠近法な どの技法をあまり使わないことが挙げられる。これは日本の伝統的な絵画から現代の漫画・アニメにまで共通してみられる、画面の立体感のなさ、平面性、装飾性、遊戯性を示すものであり、日本における美術(ファインアート)と大衆芸術(ポップアート)の区別のなさ、また現代の日本社会の階層性のなさやフラットさをも示すものである。平面作品だけでなく日本のアニメーション関連の立体作品(フィギュアなど)もこれに含まれる。」(Wikipediaより引用)

このような概念で製作された作品群で、世界の美術市場に打って出た村上隆さんは一躍時の人となりました。

その集大成をまとめた本が「村上隆のスーパーフラット・コレクション」です。

この本は、横浜美術館で2016年1月30日~4月3日に開催された「村上隆のスーパーフラット・コレクション-蕭白、魯山人からキーファーまで」の展覧会図録ですが、その凝った作りと内容がすごいと評判の画集です。

ただの展覧会図録では無く、関係者による解説とエッセイや対談なども載せられているので、より深く「スーパーフラット」について知る事が出来る傑作本となっています。

そして、村上隆さんがデビューしたての頃は、世界中で日本アニメの質の高さが認められてる時期でもあり、サブカルチャーであるアニメなどのオタク系の題材を用いた作品は、日本文化を代表するコンセプトとして、海外で大いに受け入れられました。

また、2005年にアメリカで開催された「リトルボーイ展」では、

「父親たる戦勝国アメリカに去勢され温室でぬくぬくと肥えつづけた怠慢な子供としての日本と、そうした環境ゆえに派生した奇形文化としてのオタク・カルチャー」

「それがゆえにオタク・カルチャーのきっかけはアメリカにもあるのだ」

(Wikipediaより引用)

との概念を提示して、戦勝国であるアメリカで、自身の作品だけでは無く、スーパーフラットの概念を持った他の日本人アーティストの作品も展示され反響を呼びます。

やはり、現代美術の世界で成功するには、ただ絵がうまいとか超絶技巧の作品が作れると言ったものだけでは無く、「何を目的としてるのか?」の概念が必要だと言えます。

絵そのものよりも、概念が重視される為、ある意味描いてる内容や質は大して重要ではなく、そのコンセプトや概念がしっかりしてれば、それだけで作品として成立してしまいます。

例えばフォンタナと言うイタリアの作家がいますが、その代表作は「空間概念 期待」と言うタイトルで、一色に塗られたキャンバスに切れ目を入れてるだけの作品です。

普通に見れば「なんじゃこりゃ」のレベルですが、その「概念」を知る事で、たちまちその「なんじゃこりゃ」が「お~~!」と言いたくなる作品へと変わります。

フォンタナが語る作品の概念は以下の通りです。

「画家として、キャンヴァスに穴を穿つ時、私は絵画を制作しようと思っているのではない。私は、それが絵画の閉鎖された空間を越えて無限に拡がるよう、空間をあけ、芸術に新しい次元を生みだし、宇宙に結びつくことを願っている。」(Jan van der Marck,”Lucio Fontana:From Tradition to Utopia”,op.cit.「フォンタナ展」図録 富山県立近代美術館他 1986年)より引用

こういう定義をされると、そのただの切れ目がなんか神々しい、無限の可能性を秘めた尊い物のようにさえ感じてしまいます。

現に、フォンタナの作品は現在1億円以上の価格で、オークションなどで落札されています。

このような感じで、村上隆さんの作品も「日本古来の伝統を受け継いだサブカルチャーの進化形」としての概念が、世界の現代美術界で評価されてるのだと思います。

そんな村上隆さんが、現代美術家になったいきさつは何だったのでしょう?

村上隆が現代美術家になった理由とは?

村上隆さんはもともとアニメが好きで、最初はアニメーターを目指していました。

高校を卒業してからは、宮崎アニメに憧れて本気でアニメーターになろうと努力をしますが、挫折。

後に世界的な芸術家になる人が、本気でトライしてアニメーターになれないっていうのも、なんか運命のイタズラを感じますね。

そしてその頃、興味のあった日本画を習い始め、2浪して東京藝術大学日本画学科へ入学します。

日本画学科へ進むと、ここでもまた運命のイタズラが起きます!

大学院修士課程の修了制作が、首席とならず次席であったために、日本画家への道を断念する事になります。

もし、首席だったならそのまま日本画家になっていたかも知れません。

しかし、結果的に日本画をあきらめる事で意識が現代美術へと向かい、1991年のデビュー作「TAKASHI, TAMIYA展」へと繋がります。

その後も、ワシントン条約で取引規制された動物の皮革で作ったランドセルを展示する「ランドセル・プロジェクト」を展開するなど、話題性のある現代美術作品を数多く発表して、精力的に活動を行います。

そして、それらの活動が認められ、ロックフェラー財団の「PS1.ART PROJECT」の招待を受けニューヨークに滞在し、そこで世界のアートを体感する事になります。

この滞在で、日本を改めて客観的に見る視点が生まれ、後のスーパーフラットの概念へと結びついていきました。

こうして見ると、全てはうまいように繋がってるな~と思いますね。

もし、村上隆さんが「アニメーターになれていたら」「日本画学科で首席になっていたら」「ロックフェラー財団から招待されてなかったら」、ひょっとしたら今の村上隆はいなかったかも知れません!

しかし、これだけの能力のある人なので、どの分野に行っても成功してるでしょうけど、しかしやはり村上隆さんは「現代美術」と言うジャンルがピッタリ合ってると思います!

近年、大作の「五百羅漢図」を完成させて「今死んでも悔いは無い」と語ってたのが印象的でしたが、まだまだ若いのでさらなる高みへ登ってほしいと願います!

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終わりに

村上隆さんのアートは、日本のサブカルチャーをテーマとしているので、やはり日本よりは海外での評価が高いのが現状です。

現在、この「五百羅漢図」と言う今までの仕事の集大成的な作品を作った事で、今後はどういう展開を見せてくれるのか、非常に楽しみでもあります。

これからも日本を代表する現代美術家、村上隆の作品には大注目です!

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