ヒョードル全盛期の驚愕の戦績や現在は?娘が襲われた理由とは!?

サンドバッグを打つ男

世の中色んな格闘技がありますが、中でも「総合格闘技」と言われる分野は、比較的ルールが実践に近い世界です。

エメリヤーエンコヒョードル選手は、そんな総合格闘技の世界で10年間も負け知らずと言う、偉業を達成したすごい人です!

ヒョードル選手は、一体どうやってそんなに強くなったのでしょう?

また、最近の活動はどうなっているのでしょうか?

今回は人類最強と言われた、エメリヤーエンコヒョードル選手について紹介したいと思います!

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エメリヤーエンコ・ヒョードルってどんな人?

エメリヤーエンコヒョードル

ヒョードル選手

出典sports.yahoo.co.jp

プロフィール

生年月日  1976年9月28日
出身地   ロシア・ルビージュネ
身長    183cm
体重    100㎏

略歴

2000年 Rings Russiaよりプロ格闘家デビュー
2001年 RINGSワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級 優勝
2002年 RINGSワールドタイトル決定トーナメント 無差別級 優勝
2003年 第2代PRIDEヘビー級王座
2004年 PRIDE GRANDPRIX 2004 優勝
2008年 初代WAMMA世界ヘビー級王座

2012年 引退表明
2015年 日本の総合格闘技団体「RIZIN FIGHTING FEDERATION」と契約して復帰。
2015年 12月31日に行われた試合で、TKO勝ち。
2016年 6月17日Eurasia Fight Nights50にて2-0の判定勝ち

戦績

42戦 37勝 4敗 1無効試合

ヒョードル選手のすごい戦績とは?

ヒョードル選手のすごい所は何といっても、猛者の集う「総合格闘技」の世界で10年間無敗だった実績だと思います。

最初に負けた試合も、2000年に格闘家デビューした間もない頃で、出会い頭に目尻をカットすると言うアクシデントでのドクターストップなので、実質的には負けてはいません。

その後、2010年6月にファブリシオ・ヴェウドゥム選手に、腕ひしぎ三角固めを極められ、大番狂わせのタップアウト負けを喫するまでは、28連勝と言う偉業を達成しています。

ちなみにファブリシオ・ヴェウドゥム選手は、2015年に第18代UFC世界ヘビー級王者となるほどの選手で、決して弱い選手ではありませんでした。

そして、ヒョードル選手の名前が一気に知れ渡ったのは、人気総合格闘技団体PRIDE」に参戦してからです。

PRIDEのデビュー戦で、違う格闘技団体「パンクラス」の無差別級王者だった、セーム・シュルト選手に30cmのリーチ差をものともせず勝利して、鮮烈なデビューを飾った事で人気に火が付きました。

ヒョードルとシュルト

出典boutreview.com

セーム・シュルト選手は身長2m12cmもある格闘家で、後にK-1グランプリで4回も優勝している程の実力者です。

その後も順調に勝ち進み、2003年にPRIDEの初代王者である「アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ」選手に挑戦し、見事勝利して参戦初年度にPRIDEの王者となりました!

ヒョードルとノゲイラ

出典matome.naver.jp

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手は、ブラジル出身の「柔術マジシャン」と言われるテクニシャンで、対戦者のほとんどは華麗な技に太刀打ちできず「腕ひしぎ十字固め」などの極め技で敗れています。

ノゲイラ

出典twitter.com

強者との対戦

ヒョードル選手は、PRIDEの王者となってからも、他の格闘技団体に参加して勝利するなど、積極的な活動を続けます。

中でも、日本や世界で活躍する一流の格闘家と対戦して、次々と勝利を収める事で世間からしだいに「人類最強の男」と言われるようになります。

そんな中、ヒョードル選手の経歴の中でも一番のピークだと思える試合が、2004年大晦日の「PRIDEヘビー級統一王座決定戦」です。

この試合は「人類60億分の1の最強を決める」と謳われた一戦で、過去に戦ったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手との再戦として実現します。

結果、寝技を得意とするノゲイラ選手に対して、終始打撃で攻撃し続けたヒョードル選手が判定で勝利して、見事「人類60億分の1の最強」の称号を手にしました!

その後、2007年にPRIDEが消滅すると、カナダの総合格闘団体「BodogFight」やアメリカの総合格闘団体「Affliction: Banned」に参戦し次々と勝利を収めていきます。

中でも、Affliction: Bannedで元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアを秒殺した事で、アメリカでも注目を集めるようになります。

ヒョードルになぐられるシルビア

出典wiki.nsview.net

2007年には、アメリカの「World Alliance of Mixed Martial Arts」(WAMMA)と言う、新設された総合格闘団体でも初代チャンピオンになります。

この結果に、それまでヒョードル選手を冷ややかに見ていた、UFC最高責任者が「ヒョードルに対する考え方が変わった」と驚愕しました。

UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)とはアメリカで一番の総合格闘技団体で、恐らく総合格闘技団体の中ではここが一番大きく、有名なのではないでしょうか。

UFCのロゴ

出典b.hatena.ne.jp

2009年にそのUFCから、ヒョードル選手に出場オファーがありましたが、契約内容があまりにも厳しすぎて、残念ながら合意には至らなかったようです。

きっと、ヒョードル選手がUFCに参戦していたら、もっとすごい盛り上がりを見せていたかも知れません。

ちなみに、元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンが「歴代最強のMMAファイターはヒョードルだ」と発言ているので、間違いなく全盛期のヒョードル選手は人類最強だと思います(笑)

そんな人類最強となったヒョードル選手は、どうやってプロの格闘家になったのでしょう?

ヒョードル選手の強さの秘密とは?

ヒョードル選手は11歳の頃から、サンボや柔道を始めました。

サンボはロシアの国技で、柔道が元々の源流と言われています。
打撃ありと無しの2種類があり、ヒョードル選手は打撃ありのコマンドサンボが得意でした。

サンボの試合

出典narita-area.com

19歳から21歳までは、ロシア陸軍の消防隊と戦車軍に入隊し、最終的に曹長で兵役を終えて、その後は柔道・サンボの両方で活躍します。

柔道は1996年~1998年に「全ロシア柔道選手権」で3度優勝、サンボにいたっては1998年~2008年までに11回も優勝するなど、大いに将来が期待されていました。

しかし、柔道は国からの補助金が出なくなったため、続けるには経済的な問題が生じて諦めざるおえなくなってしまいます。

そんな時に出会ったのが総合格闘技でした。

最初はロシアの最強チームである「Rings Russia」で練習を始め、2試合して勝利します。

その頃ちょうど、日本の「Rings」へ出る新人オーディションが開催されていて、参加したヒョードル選手は格闘家の前田日明さんから絶賛され、日本デビューが決まります。

前田日明

出典rings.co.jp

このような流れで、日本での試合を足掛かりとして後のPRIDEへの活躍へと繋がる事となります。

もともと柔道とサンボのレベルがトップクラスなので、寝技や関節技のスキルはデビュー前から高いものを持っていました。

この下敷きこそが、ヒョードル選手の技術面での強さの秘密だと思います。

そこにさらに高度な打撃技が加わり、人類最強のヒョードル選手が生まれた訳です!

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