大野将平の両親(父・母)や兄弟も強い?結婚や彼女の噂と礼儀がすごいって何?

大野将平選手と言えば、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック73㎏級で金メダルを獲得したすごい選手です。

ただ、大野将平選手も柔道を始めた頃から凄かった訳では無く、高校2年生まではそれほど大した選手ではありませんでした。

しかし、努力を重ねたお陰で大学に入った頃から急激に伸び、「世界柔道」や「オリンピック」などで何個も金メダルを獲得する、ズバ抜けた才能を開花させています。

そんな、大野将平選手の両親や兄弟もやはりすごい能力の持ち主なのでしょうか?

また、気になる結婚&彼女の噂や「礼儀」が話題になってますが何なのでしょう?

ちょっと気になったので調べてみました!

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大野将平ってどんな人?

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プロフィール

生年月日 1992年2月3日
出身地  山口県山口市
身長   170㎝
血液型  O型
学歴   天理大学卒
所属   旭化成
得意技  大外刈と内股

大野将平の両親は母親が素晴らしい心の支えに!

大野将平選手の両親について調べてみると、母親に関する情報はあるのですが、なぜか父親に関する情報は一切ありませんでした。

ただ、「両親が離婚している」と言った情報も出てない為、父親はいるはずですが大野将平選手の口から出て来るのは母親の事だけです。

また、大野将平選手の親戚のおじさんが「柔道の先生をしていた」と言う事なので、ひょっとすると父親か母親も柔道経験者なのかも知れませんが、その辺の情報もありませんでした。

そんな大野将平選手の母親は、名前が「文子さん」と言います。年齢などの詳しい事は出てませんでしたが、柔道家の母親らしいエピソードが色々あります。

と言うのも、大野将平選手は小学校を卒業すると上京して柔道の名門私塾である「講道学舎(こうどうがくしゃ)」に入りたいと母親に言いました。

ただ、母親は先に大野将平選手の兄が「講道学舎」へ入って「めちゃくちゃ厳しい」と聞いていたので引き止めます。

しかし、大野将平選手はそれでも「行きたい」と言うと、母親は「1年間で10㎏体を大きくしたら行っても良い」と言う条件を付けました。

それは当時、大野将平選手の体が小さかったので「今のままでは到底無理」と母親が判断し、せめて10㎏くらい増えれば大丈夫かも?と思ったからかも知れません。

そして、大野将平選手は母親との約束を守って1年後に10㎏体重を増やした事で、晴れて兄と同じ「講道学舎」へ入る事となりました。

地獄の講道学舎でも母親の言葉が支えに!

ちなみに、講道学舎(こうどうがくしゃ)とは、これまでに古賀稔彦さん、吉田秀彦さん、瀧本誠さん、そして大野将平選手と言った「オリンピック金メダリスト」を輩出している名門私塾です。(2015年に閉塾)

また、練習が厳しい事でも知られていて、稽古中に「参った」をしても絞め落とすことが常態化するなど、通常の練習ではあり得ないほどの厳しさでした。

実際、大野将平選手も「講道学舎」にいた当時の事を「泣いていた記憶しかない」と話しています。

そんな大野将平選手が、「講道学舎」の入門テストを受けた時10人中8番手の弱さだったそうで、その事を母親に言うと「1年で1人ずつ抜いていきなさい」と励まされました。

そして、大野将平選手はその言葉通り、1人ずつ追い抜いて行き卒業するまでに「その学年で1番強い選手になっていた」と言う事です。

なので、大野将平選手が信じられないほどの厳しい練習に耐え抜けたのは、「母親の励ましがあったから」とも言えます。

ただ、父親に関する情報が一切出てない為、何とも言えませんがひょっとすると父親もしっかり大野将平選手を支えていたのかも知れません。

大野将平選手の父親に関しては、また何か情報があれば追記していきます。

大野将平の兄弟は兄が一人!柔道もすごかった!

大野将平選手の兄弟は、2歳年上の兄が1人いるだけなので2人兄弟です。

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そして、兄の名前は大野哲也(おおのてつや)さんと言い、大野将平選手が柔道を始めたのも完全に2歳年上の兄の影響からです。

と言うのも、兄の大野哲也さんは大野家の親戚の集まりで、地元の柔道教室「松美柔道スポーツ少年団」に入る事が決まり、その後に弟の大野将平選手も習い出しています。

また、大野将平選手の親戚のおじさんが道場の先生だった事から、やはり大野将平選手の両親のどちらかが柔道経験者の可能性が高いのではないでしょうか。

そして、兄は小学生の頃から柔道が強く、団体戦での優勝経験や個人戦でも全国大会で上位に入るレベルだった事から、名門「講道学舎」スカウトされて入りました。

なので、兄は当時から柔道関係者から「強くなる」と見込まれるほどの実力があったと言えます。

大野将平選手は、そんな強い兄に憧れて学生時代はずっと背中を追って柔道を続けて行きました。なので、現在の大野将平選手があるのはある意味「兄のお陰」とも言えますね。

ただ、兄は高校を卒業すると柔道の強豪校である「天理大学」へ進学しますが、その後は特に目立った活躍は無かったようです。

そして、天理大学を卒業したあとは「警察」に就職し、現在は地元の「山口県警」に勤務しています。

また、柔道は2012年度と2014年度の「山口県柔道体重別選手権90㎏級」で優勝するなどの活躍をしているので、現在も続けているのではないでしょうか。

ひょっとすると、すでに結婚されて子供もいるかも知れないと思い調べて見ると、大野将平選手のインスタグラムに「甥っ子」と言う記述がありました。

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なので、兄はすでに結婚して男の子が一人いるという事ですね。ちなみに、名前は「友彰(ともあき)」くんと言うそうです。

そして、恐らく家系的にこの男の子も将来は柔道をやる可能性は高いので、これから10年後、20年後に「大野友彰」と言う名前が日本中に響くかも知れません。

大野将平の結婚や彼女の噂は?

大野将平選手の結婚や彼女について調べてみましたが、今の所「結婚している」と言った情報は出ていませんでした。

なので、現在はまだ結婚はしていないと言えます。

また、彼女についての情報も皆無なので、今はひたすら「柔道一筋」のストイックな生活をしている為「彼女はいない」と言いたい所ですが・・・・

実は、大野将平選手がリオデジャネイロ・オリンピックで金メダルを獲った年に、「美女と合コンをしている記事」が出ていました。

その内容によると、オリンピックが終わってからの「凱旋試合」があった夜、代表宿舎に近い「赤羽の居酒屋」で6人のメダリストが美女と合コンをしていたとの事です。

また、目撃情報によると、大野将平選手が合コンで知り合った20代の女性と「その後ホテルへ消えた」との記載もあったので、これが本当だとすると決して「柔道一筋」と言う訳でも無いと言えます。

なので、知られてないだけで裏ではしっかり交際している女性がいても不思議ではないでしょう。

ただ、今の所は「彼女」に関する情報は一切出てない為、今後、オリンピックなどで色々注目されると、再び大野将平選手の女性関係もスクープされるかも知れません。

そういう事もあり、大野将平選手の彼女についてはまた何か情報が出てくれば追記して行きます。

大野将平の礼儀がすごい!理由は対戦相手への敬意!

大野将平選手の「礼儀がすごい」と話題になりました。

それは「リオデジャネイロ・オリンピック」で大野将平選手が取った行動の事で、初戦から決勝戦まで「勝利しても一切嬉しさを表現しない」と言うものでした。

通常、勝利すると嬉しくてついガッツポーズや笑顔がこぼれてしまうものですが、大野将平選手は勝利しても畳の上では一切表情は崩しません。

さらに、始まりも終わりも深々と頭を下げるなど、対戦相手が誰であろうと「最大限の敬意」を表します。

この行動が「柔道家の模範」として、なんと中学生の「道徳の教科書」に載る事になり話題となりました。

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なので、大野将平選手は「オリンピックの金メダリスト」と言う事だけでは無く、「本物の柔道家」としてのお手本も世界中に示したと言えます。

実際、動画でも常に深々と頭を下げて試合に取り組む大野将平選手が印象的です。

今後、大野将平選手に憧れる世界中の柔道家が、同じように対戦相手に対して「敬意」を示すようになれば、観客も気持ち良く試合を観戦できるし柔道の「品も上がる」と言えます。

大野将平の凄すぎる経歴!才能が開花したのはあの人のお陰?

大野将平選手は、7歳の時におじさんが先生をする「松美柔道スポーツ少年団」で柔道を始めました。

ただ、他の有名選手のように、小学生や中学生で「全国大会優勝」と言うような輝かしい成績は無く、とくに目立った活躍もしていません。

しかし、高校生になった時、2年生で出場したインターハイ73kg級で優勝し、ようやく全国クラスでの活躍をしますが、3年生はケガで思うような結果が出せませんでした。

そして、その後「天理大学」へ進学した事で大きく運命が変わり始めます。

と言うのも、当時全日本代表チームの監督だった「篠原信一」さんに、特例でシニアの強化指定選手に引き上げて貰ったことで、才能が一気に開花して行くからです。

後に本人が語っていますが、高校生まではとにかく全てにおいて「粗削り」だったのが、大学でシニアの選手にもまれるうちに、どんどん磨かれて行ったのだそうです。

実際、大野将平選手は大学に入りどんどん技を磨いて行くと、2年生の時に「全日本ジュニア」「世界ジュニア」で優勝するなど、いきなりジュニアの日本一世界一になりました。

さらに、2012年2月に「ワールドカップ・オーバーヴァルト」に出場すると、シニアの国際大会でも初優勝を飾っています。

なので、もし大野将平選手が大学に入った時「篠原信一」さんに出会わないで、シニアの強化選手になって無ければ、今の大野将平選手は無かったのかも知れません。

そう思うと、大野将平選手の才能が一気に開花したのは篠原信一さんのお陰とも言えます。

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その後は一気に名実共に「世界一の選手」へ

このように、大野将平選手は大学に入ってから急激に強くなり、4年生の時には「世界柔道」の代表にも選出され、オール1本勝ちで優勝するなど圧倒的な強さで世界一になりました。

そして、大学を卒業すると「旭化成」の所属となり、2015年には再び「世界柔道」で優勝して2年ぶり2度目の世界チャンピオンに輝いています。

さらに、翌2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでも金メダルを獲得し、その年の「IJF年間最優秀選手」にも選出されるなど、名実共に世界一の選手となりました。

その後は、ケガなどでしばらく思うように柔道が出来ずにいましたが、徐々に調子を取り戻して2018年からは再び国際大会でも優勝するようになります。

また、66㎏級から階級を上げてきた元世界チャンピオンの「海老沼匡選手」に敗れるなど、思わぬライバルが出現し、大野将平選手も油断できない状況にもなります。

しかし、そうした切磋琢磨するライバルがいるお陰で、世界一の選手となってからも油断する事無く柔道に打ち込めるとも思うので、今後も大野将平選手の活躍に注目です!

終わりに

現在、超人的な強さを誇る大野将平選手も、高校生くらいまではそれほど注目される選手ではありませんでした。

しかし、中学生の時に入った「講道学舎」でボロボロにされながらも必死で食らいついた経験が、後の活躍の原動力になっているのは確かです。

そう思うと、やはり「努力した事は決して無駄にはならない」と言えるのではないでしょうか。

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