藤岡弘の父親が失踪した理由は?母親のすごい教育と武勇伝や経歴とは?

藤岡弘さんと言えば「仮面ライダー役」が有名ですが、現在はバラエティー番組などにも多数出演するなど活躍中です。

また、藤岡弘さんは「武道の達人」としても知られていますが、それは藤岡家に代々伝わる「藤岡流」を父親から受け継いだからと言えます。

ただ、父親は藤岡弘さんが小学生の頃に失踪した為、その後は母親と苦しい極貧生活を送らざるをえませんでした。

今回は、そんな藤岡弘さんの父親や母親と学生時代の武勇伝や経歴についても紹介して行きます!

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藤岡弘のプロフィール

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本名 藤岡邦弘(ふじおかくにひろ)

生年月日 1946年2月19日
出身地  愛媛県
身長   180㎝
血液型  O型
学歴   松山聖陵高等学校卒
所属   株式会社SANKIワールドワイド

藤岡弘の父親は武道家で警察官だった!

藤岡弘さんの父親の職業は「警察官」で、全国的にも名前の知られた「柔道家」でもあったと言う事です。

また、藤岡家は「藤岡流」と言う「古武道」を継承する家系でもあった為、父親も相当な武道の達人でもありました。

そして、藤岡弘さんの幼い頃は非常に体が弱く、肺炎を患った時は医者から「もうダメだろう」と言われるほど病弱な子供だったと言う事です。

その為、病弱な息子を心配した父親は体を鍛える目的も兼ねて家伝の古武道である「藤岡流」を教えると、徐々に体も丈夫になって見事病弱な体質を克服しました。

また、父親は武道の達人らしく非常に厳格な人で、藤岡弘さんの思い出のエピソードとしては以下のような内容があります。

ある日、藤岡弘さんが父親に道場の掃除を命じられたものの「手抜き掃除」をしたそうです。

すると、それを見抜いた父親は手抜きした場所を指でなぞって舐め

「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか」

と一喝し、掃除をする本当の意味と大切さを教えたと言います。

こういうエピソードを見ると、まさに「武道の達人」ならではの指導と言えるので、現在の藤岡弘さんの優れた精神は父親の影響を強く受けていると言えるのではないでしょうか。

そんな武道家として厳しい精神を持つ父親でしたが、藤岡弘さんが小学校6年生の時に突然失踪したと言う事です・・・。

藤岡弘の父親が失踪した理由とは?

藤岡弘さんの父親が「失踪した」と言う事実は公表されているものの、その理由までは語られてはいませんでした。

なので、考えられる事としては「武道の達人」だったと言う事で、誰かとトラブルになり「何者かに狙われた」と言う可能性もあります。

ただ、父親の職業が「警察官」だった事を考えると、警察官のまま失踪したなら当然「事件」として大きく捜査されるはずですが、そういった経緯は無いようです。

また、藤岡弘さん自身は父親が失踪した事でその後家が貧しい生活を強いられる状況になり、その原因となった父親の事を「後年まで恨んでいた」と話しています。

なので、もし父親の失踪が「事件がらみ」なら「恨み」と言う言葉は出て来ないと思うので、失踪は「意図的なものだった」と考えるのが自然ではないでしょうか。

その辺から推測するに、「事件」や「病気」では無く家族を捨てて失踪すると言う理由で一番多いのは、やはり「恋愛関係」ではないでしょうか。

そういう理由であれば、藤岡弘さんが「後年まで父親を恨んでいた」と言う事も理解できますし、詳しい内容が出て無いのも分かります。

ただ、「武道の達人」で精神論なども息子に教えていた父親が、家族を捨ててまで「女に走る」とは考えにくいですが、そういう一面も持っていたと言う事なのかも知れません。

もちろん、これはあくまでも推測なので真実は全く違うかも知れませんが、藤岡弘さんの父親が失踪した事で藤岡弘さんが大変な苦労したと言うのは事実です。

しかし、こういう苦労があったからこそ「その後の成功」を手に出来たのかも知れません。

藤岡弘の母親は103歳で他界!すごい教育とは?

藤岡弘さんの母親は、茶道や華道、琴の師範だったと言う事なのでかなり教養のある人だったと言えます。

また、藤岡弘さんは父親の転勤で転校が多かった為、小学校時代はよくいじめに遭ったと言う事です。

ただ、その頃はすでに父親から「武道」を教わっていたので我慢していましたが、ある日とうとう我慢しかねて相手に反撃すると重傷を負わせてしまいました。

その事が母親に知れると、母親は以下のような言葉を藤岡弘さんに言ったそうです。

「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」

このように言われた事で、藤岡弘さんも事の重大さを理解して反省したと言う事ですが、ここまで言い切って教育する母親もすごいと言えます。

ただ、藤岡弘さんが小学校6年生の時に父親が突然失踪してしまった為に、その後は母親も苦しい生活をするハメになってしまいます。

そんな母親は、2013年の春に103歳で亡くなったと藤岡弘さんが語っていたので、かなり長寿だった事が分かります。

また、2013年に103歳だったと言う事は母親は1900年生まれとなります。なので、藤岡弘さんが1946年生まれと言う事は、母親が46歳の時に産んだ子供となります。

そうした高齢での出産と言う事もあり、特に藤岡弘さんの事が可愛かったのかも知れません。

藤岡弘の学生時代の武勇伝とは?

藤岡弘さんは小学校の時も転校が多くでいじめられたと言う事ですが、高校生になってからも長身で目立つと言う事もあり、よく不良にからまれたと言う事です。

そして、ある日5人以上の不良とケンカとなりましたが、最初は反撃せずに全て相手の攻撃を見切って間合いを外すなどかわしていました。

しかし、それでも一向にやめようとしない不良にとうとう堪忍袋の緒が切れて反撃し、全て撃退したと言う事です。

恐らく、こういう事は学生時代は頻繁にあったのではないでしょうか。

それくらい、学生時代の藤岡弘さんは外見的にも目立つ存在だったと言えます。

ただ、父親が失踪した事で家計が苦しくなった為、学生時代の藤岡弘さんはアルバイト漬けの毎日だったと言う事です。

そして、「役者」として食えるようになるまでの間は50以上ものアルバイトをしたと言う事なので、藤岡弘さんがどれだけ苦労して役者になったかと言うのが分かります。

そんな藤岡弘さんは、一体どのようにして役者として成功して行ったのでしょう。

藤岡弘の経歴が凄すぎる!裏切りの活動停止や復活とは?

役者を目指していた藤岡弘さんは、高校を卒業するとアルバイトで貯めた3万円を握りしめて上京し、最初は劇団の俳優教室に入所して演技を学びます。

ただ、所持金の3万円はすぐに無くなり、その後は徹夜でアルバイトをするハメになった為、養成所では居眠りばかりしてなかなか卒業できなかったと言います。

しかし、翌1965年には「松竹」に入社して役者デビューすると、『若いしぶき』という作品で早くも主演に抜擢されるなど、順調な役者生活をスタートさせました。

ただ、その後はオーディションに行っては落ちると言う下積み的な期間も経験し、その間はアルバイトに精を出すなどひたすらチャンスを待つ日々を過ごします。

そして、1970年にアクションドラマ『ゴールドアイ』で初めて連続ドラマに出演すると、翌1971年にはあの『仮面ライダー』で主役の「本郷猛」役を見事にゲット!

その後は、「仮面ライダー」が視聴率30%を超える大ヒットとなった事で、主役の藤岡弘さんも役者として一気にブレイクしました。

藤岡弘は仮面ライダー以後も「役者」として成功!

また、藤岡弘さんは1972年に東宝映画『日本沈没』に主演すると、これも大ヒットとなり仮面ライダー以後も役者として活躍します。

そして、1974年にはNHKの大河ドラマ『勝海舟』で坂本龍馬役に抜擢され、その後も7本の大河ドラマに出演しました。

また、1970年代の人気ドラマだった「特捜最前線」にもレギュラー出演するなど、この頃にはすっかり日本を代表する役者へと成長しています。

さらに、1984年にはSFサムライ映画『SFソードキル』に出演するなど、アメリカ映画にも進出し「国際俳優」の仲間入りもしました。

そして、その際、藤岡弘さんは日本人として初めて「全米映画俳優組合」へ加入すると言う快挙も達成しています。

その為、このままさらに海外映画に出演して国際的な活躍をするかに思えましたが、その後は多額の借金を抱えるハメになり、まさかの「芸能活動停止」となります。

藤岡弘の芸能活動停止理由と復活

藤岡弘さんは1987年に映画『白い牙』で共演した女優の鳥居恵子さんと結婚するなど、仕事も順調で幸せの絶頂にいました。

しかし、その時期に本人曰く「最も信頼していた者達の裏切りに遭い」多額の負債を抱える事となります。

そして、この件がキッカケで藤岡弘さんは健康を崩してしまい芸能活動を停止状態に追い込まれてしまいました。

また、この件に関して詳しくは語られていませんが、最も信頼していた者の裏切りとあるので、ひょっとすると信頼していた友人の「連帯保証人」になって被害に遭ったのかも知れません。

さらに、1987年に結婚した鳥居恵子さんとは1990年に約3年と言う短い結婚生活を終えてる事から、ひょっとすると離婚の原因はこの件が関係している可能性もあると言えます。

そして、その後はしばらく表舞台から姿を消した藤岡弘さんでしたが、1997年に「セガサターン」のテレビCM「せがた三四郎」に起用されました。

すると、このCMが大いにウケて大人気となり、ここから本格的に芸能活動を再開しています。

また、1999年にはNHK連続テレビ小説『あすか』にヒロインの父親役で出演して、見事役者としてもカムバックを果たしました。

藤岡弘はバラエティー番組でも活躍

そして、藤岡弘さんは1990年代からとんねるずやダウンタウンの番組に度々出演するなど、バラエティー番組にも登場しています。

また、自身の番組としては、2002年に「川口浩探検隊」の後任として、2代目隊長に起用されると『藤岡弘、探検隊シリーズ』が開始しました。

ちなみに、このシリーズはレギュラー番組では無く単発の番組ですが、これまでに全6回が放送され、お陰で「隊長と言えば藤岡弘」と言うイメージの定着に貢献しています。

その後も、ちょくちょく色んなバラエティー番組に出演し、その独特の言い回しや生真面目なキャラクターでお茶の間の人気者となりました。

ただ、本人はそうした「生真面目なキャラクター」が笑いものにされてる事も十分理解していて、その上で「他人からどう思われようと自身の信念を貫く事が大事」と考えているとの事です。

こういう姿勢から、藤岡弘さんの器がどれだけ大きいかがよく分かると言えます。

そして、藤岡弘さんは2001年に24歳下の一般人女性と結婚して、最近ではその子供がメディアに登場するなど、今後は子供の活躍にも注目が集まりそうです。

特に、息子は藤岡弘さん似のイケメンなので、今後は史上初の「親子2代での仮面ライダー役」が実現するかも知れません!

これからも藤岡弘さんと子供の活躍に注目です!

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終わりに

藤岡弘さんの父親は日本でも有名な柔道家で「藤岡流」の達人でもあったと言う事から、藤岡弘さんの先祖は代々すごい武道家だったのかも知れません。

ただ、父親がなぜ「失踪」したかは分かりませんが、その失踪があったからこそ藤岡弘さんの精神も鍛え上げられ、現在の活躍に繋がってると言えます。

また、父親は早くにいなくなったものの、母親は103歳と言う長生きだったのが藤岡弘さんのせめてもの救いだったのかも知れません。

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