辻井伸行の子供時代のあだ名とは?母親が美人で子育て論が秀逸!

ピアノ

辻井伸行さんと言えば、2009年の第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでの優勝で一役有名になりましたね。

おまけに全盲のピアニストと言う事もあり、さらなる驚きで話題を集めました。

ただ、当然ながら全盲の方がここまで来るのには、多大な苦労があり並大抵の努力無しには達成出来ないものでした。

それを支えた一番の功労者が、母親である辻井いつ子さんです。

辻井いつ子さんはいかにして、辻井伸行さんを天才ピアニストへと導いたのでしょう?

ちょっと気になったので調べてみました!

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辻井伸行の母親が美人で子育て論が秀逸!

辻井いつ子

辻井いつ子
出典http://www.dwc.doshisha.ac.jp/event_report/2011/10/135.html

プロフィール

生年月日 1960年生まれ
出身地  東京都
学歴   東京女学館短大卒業

辻井いつ子さんは、大学卒業後にフリーアナウンサーとして活躍したと言う事もあって、かなりの美人ですね!

今でもこれだけキレイですから、若い頃は相当モテたのではないでしょうか(笑)

そんな辻井いつ子さんが26歳で結婚したのが、産婦人科医の辻井孝さんでした。

そして、2年後の28歳の時に辻井伸行さんを出産しましたが、生後まもなく全盲と分かり、絶望と不安の中で手探りで子育てをスタートさせています。

最初、辻井伸行さんの目が一生見えないと知った時は、

「生まれたときからこんなハンディを抱えて、それでも伸行は生きている方が幸せなのか」「もう毎日が辛い。何をしていても辛い」

と、当時の日記に書きなぐって泣いていたそうです。

しかし、母親である自分がこんな事では自分も子供もダメになると思い直し、不安ながらも前を見て生きる事を選択しました。

そう思ったものの、どうしていいのか分からなかった辻井いつ子さんは、情報を求めて本屋へ行きます。

しかし、ほとんどの本は障害というマイナスをいかに克服して社会に適応していくか、と言った感じの本ばかりで、少しも前向きになれません。

そう思っていると、ある時一冊の本に出会い一気に運命が変わります。

それが、福澤美和さんの書かれた『フロックスはわたしの目』と言う本でした。

この本は、網膜色素変性という視力障害のある福澤美和さんが、盲導犬のフロックスと一緒に生活している様子を綴ったエッセイです。

それを読んだ辻井いつ子さんは、その内容に深く感銘してすぐに連絡をとり、福澤美和さんと直接会って自分にある不安を色々話す機会を得ました。

そこでアドバイスを貰った事で、不安で仕方なかった子育てに自信が持てるようになります。

福澤美和さんから具体的にどんな影響を受けたのかと言うと、福澤美和さんは全盲であっても歌舞伎を楽しんだり、博覧会や美術館にも出かけたりするそうです。

辻井いつ子さんは、最初「見えない」と言う事に囚われるあまり、そういう普通の人がやるような事は出来ないと思い込んでいて、その人らしく生きていくという事にまで気が回わりませんでした。

しかし、全盲であっても会場の匂いや音や雰囲気などは全身で感じられるので、決して真っ暗闇の世界では無いと福澤美和さんの言葉で気付くことが出来ました。

この考えが生まれた事で、辻井いつ子さんの子育てに対する不安はかなり軽減されたようです。

それからは、辻井伸行さんを「障害者の伸行」では無く、「目の見えない個性のある伸行」として育てるようになりました。

それまであまり外へは行かなかったのが、積極的に外へ出ていくようになり、

「うちの子は眼が見えないんですが、よろしくお願いします。なるべく声をかけてあげてくださいね」

と、コミュニケーションを取って、近所の人にもかわいがって貰えるようにしたり、何よりやりたい事はどんどんやらせるようにしたのが大きいと思います。

例えば、水泳やスキーなど、辻井伸行さんが興味を持ったことは、「できない」「まだ早すぎる」とは決して言わず、すべて望み通りに経験させたそうです。

そういう考えが、辻井伸行さんにピアノを与え、才能を極限にまで伸ばすキッカケとなったのではないでしょうか。

そして、辻井いつ子さんの子育て論の一番素晴らしい所は、決して「強要しないこと」だと思います。

小さい頃から音楽に対して非凡な才能を見せていた辻井伸行さんですが、母親の辻井いつ子さんは決して他の親のように、息子を何がなんでも「音楽家」にしようなどとは考えていませんでした。

ただ、「何か1つ、この子が自信をもてるものがあれば」と言う願いで、ピアノの練習に励む辻井伸行さんを後ろから応援していました。

なので、コンクールの楽屋でも、他の母親は本番ギリギリまで「しっかりやらなきゃダメよ!」とか「絶対間違えちゃダメよ!」と、子どもに言い聞かせているのに対して、辻井いつ子さんは「普段通りに楽しくやればいいんじゃない」と言った感じの言葉をかけただけでした(笑)

しかし、こういったプレッシャーをかけない事が、かえってのびのびとした演奏につながり、辻井伸行さんは変に気負う事もなく、能力を伸ばせる事が出来たのではないでしょうか。

辻井伸行の子供時代のあだ名とは?

今では立派なピアニストとして活躍している辻井伸行さんですが、小さい頃はやはり色々大変だったみたいです。

小学校は筑波大附属の盲学校に通っていましたが、その頃はちょっとした事ですぐに泣いて大騒ぎするような子供でした。

靴がうまく履けなかったりとか、何をしても他の子よりも遅かったようで、辻井いつ子さんが学校へ迎えにいくといつもビービー泣いてばかりいたそうです。

あまりにも泣いてばかりいるので、学校では「ビービー伸行」と言うあだ名がつけられていたそうです。

そんなあだ名がつけられるくらいですから、毎日相当泣いていたんでしょうね。

ただ、不思議とピアノに関しては一切泣いた事が無いそうです。

出来ない所があっても、決して泣く事はなく何度も練習して、できたら「出来るようになったよ!」と声をかけると言った感じでした。

とにかくピアノは辻井伸行さんにとって、最高のおもちゃであり一番身近に感じる事の出来る「友達」のようなものだったのかも知れません。

なので、ピアノ以外の事ではビービー泣いていても、ピアノと言う友達に触れている間は楽しくて仕方なかったのだと思います。

やはり、辻井伸行さんは生まれながらのピアニストですね!

そんな辻井伸行さんの国内のコンサートは、毎回完売するほどの人気です!

ヴァン・クライバーンの優勝から随分経つのにこの人気は、やはり聴衆の心を揺さぶるようなピアノ演奏だからこその完売なのだと思います!

それは辻井伸行さんが本物のピアニストと言う証ではないでしょうか。

今後、もし辻井伸行さんの生演奏聴きたくなったら、数ヶ月前にはチケットをチェックしないと間に合いませんので気をつけてください!

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盲目のピアニスト!辻井伸行の凄さや実際の実力は?父や母はどんな人?

終わりに

正直、目が見えないと言うハンデがあるだけでも大変なのに、有名なピアニストにまで育て上げた辻井いつ子さんは本当にすごいと思います。

また、それ以上にそんなハンデをものともしないで、ひたすらピアノのスキルを身につけていった辻井伸行さんの努力には感服します。

これから益々世界的なピアニストとして活躍する、辻井伸行さんに注目です!

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