現在、ジャズの世界で最も成功している日本人アーティストは、上原ひろみさんでは無いでしょうか。
2016年に出した最新アルバム『SPARK』は、全米ビルボードのジャズ総合で1位となっていますし、ジャズ部門の総合1位は日本人では松居慶子さん以来2人目となる快挙です!
そんなすごい経歴を持つ上原ひろみさんは、なぜ海外でこれほど評価されるのでしょう?
また、プライベートはどんな感じなのでしょうか?
今回は、ジャズピアニストの上原ひろみさんについて紹介していきます!
目次
上原ひろみってどんな人?
プロフィール
生年月日 1979年3月26日
出身地 静岡県
身長 160cmくらい
学歴 法政大学中退→バークリー音楽大学(首席卒)
略歴
1985年 6歳よりピアノを始め、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ
1999年 20歳でボストンのバークリー音楽院に入学
2003年 アルバム「Another Mind」で世界デビュー
2008年 チック・コリアとのアルバム「Duet」をリリース
2010年 ソロ・ピアノ作品「Place to Be」をリリース
2011年 第53回グラミー賞で「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞
2014年 「第一回インターナショナル・ジャズ・デー」に参加
2015年 日本人では唯一となるニューヨーク・ブルーノートで11年連続公演を成功させる
2016年 新作「SPARK」をリリース
これだけすごい実績があると、上原ひろみさんは小さい頃から音楽の英才教育を受けて、高校や大学も音楽系へと進んでるかに見えます。
しかし、上原ひろみさんは特別音楽の英才教育を受けた訳でもなく、高校も普通校へ行き、大学も音楽とは一切関係ない法政大学に進学しています。
とはいえ、6歳からヤマハ音楽教室で作曲を学び、8歳の時には「おどるポンポコリン」を独自に編曲するなど、すでに音楽的才能は発揮していました。
また、16歳の時にはアメリカ人ピアニストのチック・コリアにその実力を認められて、自身のコンサートステージに上原ひろみさんを引き上げ、共演しています。
そう考えると、やはりもともとピアノの才能はあったと思いますし、それプラス見えない所でかなり練習して努力もしていたのでは無いでしょうか。
そうして、ヤマハの音楽支援制度で奨学金を得たのを機に、通っていた法政大学を中退して好きな音楽を学ぶ為に、バークリー音楽大学への留学しました。
上原ひろみが海外で評価され成功した理由とは?
日本人のアスリートやビジネスマンが海外へ出た時に、真っ先に直面する事が「海外では日本の常識が通用しない」と言う事です。
上原ひろみさんはインタビューで
例えば、海外に出るまでは日本の「悪くないけど、とりあえず謝る」ということが「いけないこと」だとは知らなかったですから(笑)。
海外ではとりあえず謝っていると何も進みませんが、日本ではとりあえず謝らないと傲慢な人になってしまいますしね。」
「世界に出たら、きちんと自分の主張をすること」。
相手は察してはくれません。
日本人は「相手の気持ちを察する」、「空気を読む」文化がありますが、そういうのがない国ではちゃんと言わなきゃいけない。
「相手が気持ちを察してくれないから、自己主張するのか!」と海外に出てやっと分かるようになりました。 出典http://nichigopress.jp/
と語っています。
これは、けっこう海外へ行って仕事をした人の間ではよく言われる事です。
日本人は自己主張が苦手な民族ですから、違うと思っていてもついつい周りの言う事を聞いてしまいがちになります。
そんな風にしていると、せっかくの自分の個性が無くなり能力を発揮できないままで終わります。
上原ひろみさんは、ただ才能があるだけでは無く、こう言う事を学びながら、どんどん海外で自己主張していき自分の能力を認めさせて成功を勝ち取っていきました。
例えば、上原ひろみさんは最初のアメリカでのレコード契約の時に
「Asian, Female, Instrumentalist」この3つの要素はマーケット的に全くウェルカムではないと言われました。出典http://nichigopress.jp/
と語っています。
しかし、「日本人・女性」はどうしようも無いですし、「歌なしの音楽」しか出来ない上原ひろみさんは、今の自分にできる事を全力で自己主張するしかありませんでした。
そうやって自分を信じて全力で取り組んだ結果、見事アルバムはヒットすることになります!
もしそこで、レコード会社の言う事を聞いて、無理やり歌とかを入れていたらヒットしなかったかも知れません。
やはり、海外で成功しようと思ったら何を言われても、自分がいいと思った事はハッキリ自己主張してやり通すだけの根性が必要なのだと思います!
上原ひろみさんはきっと早くからそう言う事に気がついて、自身の才能を伸ばしていったからこそ、海外で受け入れられ成功したのではないでしょうか。
そうして、現在では出したアルバムが、全米ビルボードのジャズ総合で1位となる訳ですから、海外での評価は最高クラスだと言えると思います!
上原ひろみの結婚や子供は?
上原ひろみさんは、2007年9月1日にシューズデザイナーの三原康裕(ミハラヤスヒロ)さんと結婚しました。
三原康裕
生年月日 1972年6月15日
出身地 長崎県
学歴 多摩美術大学デザイン学科テキスタイル学部卒業
三原康裕さんの経歴もかなり独特で、1994年から独学で靴を作り始めます。
そして、大学在学中の1996年に靴メーカーのバックアップでオリジナルブランド「archi doom」を立ち上げます。
大学卒業後、ブランド名を「archi doom」から「MIHARAYASUHIRO」に変えて、1998年に初の直営店「SOSU MIHARAYASUHIRO」を東京、青山にオープンします。
その後順調に2号店、3号店を出店し2004年には海外にも進出しました。
こう見ると、相当なやり手の方ですね!
そして2006年6月に、ミラノコレクションのピアノ演奏で来ていた上原ひろみさんとここで出会い、親密になったと思われます。
2007年9月に結婚ですから、わりと早めのスピード婚だったみたいですね!
それからもう10年近く経ってるので、子供とかいるのかな?と思って色々調べましたが、そんな情報は一切ありませんでした。
最近のブログにも子供の事は一言も出てきませんので、恐らく子供はいないと思われます。
上原ひろみさんは現在、年間150回くらい世界中でコンサートを行っているそうです。
そんな事を考えると、とても子供を育てられるような環境では無いかもしれませんね。
上原ひろみさんには、このまま全力で大好きなジャズピアノを極めて行って欲しいと思いました!
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終わりに
これほどすごいジャズピアニストなので、小さい頃からすごい先生について英才教育を受けていたのかと思えば、意外にもそんな事はありませんでした。
しかし、結果的に現在のようになっていると言う事は、やはり「才能と努力」と言う事なのでしょう。
バークリー音楽大学へも、ピアノを習いに行った訳では無く「作編曲」を主に習いに行っていて、しかも首席で卒業している所がやはり普通の人とは違いますね。
今後もどんな活躍をするのか、とても楽しみです!