中田久美の子供や結婚した夫は?離婚の理由や尾崎豊との意外な関係とは?

現在、バレーボール女子日本代表の監督を務める中田久美さん。

中田久美さんは中学生の時から全日本の代表選手に選ばれるなど、非凡な才能を発揮して日本の女子バレーボール界を先導して来ました。

そして、選手を引退してからは日本人初の海外チームのコーチを依頼されるなど活躍し、2016年からは全日本の監督に就任しています。

そんな中田久美さんの結婚した夫や子供はいるのでしょうか?

また、すでに離婚されてますが、その理由や尾崎豊さんとの意外な関係を紹介していきます!

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中田久美ってどんな人?

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プロフィール

生年月日 1965年9月3日
出身地  東京都練馬区
身長   176㎝
血液型  A型
学歴   NHK学園高校卒(通信制)
所属   スポーツビズ

中田久美の結婚した夫は元高校球児のスポーツマン?

中田久美さんは1995年に30歳になる年に結婚しています。

相手は、「林隆夫さん」と言う一般人の方ですが、この方の父親が「林亮勝(はやしりょうしょう)」さんと言う有名な歴史学者だった事から、夫の名前も有名になったようです。

とは言え、夫である林隆夫さんの年齢も職業も公表されて無いので素性は全く分かりません。

また、父親が有名な歴史学者だった事から、ひょっとすると林隆夫さんも「研究者」の道へと進んでるのかな?と思い調べてみましたが、該当する方はいませんでした。

ただ、夫の林隆夫さんは国学院久我山高等学校の野球部に所属し、1979年に「第51回選抜高等学校野球大会」に出場経験があるとの事なので、スポーツ万能な方なのではないでしょうか。

そう思うと、仕事も意外とスポーツ関係の仕事に就いてる可能性があるかも知れません。

また、甲子園出場時に18歳だったとすると、現在は60歳近い年齢となってるはずなので、恐らく中田久美さんよりも4つくらい年上の方だと言えます。

そして、中田久美さんと夫の林隆夫さんがどこで知り合ったかなどの「馴れ初め」は出ていませんが、お互いスポーツをやってる事から共通の友人を通して出会ったのかも知れません。

ただ、30歳で結婚に踏み切った中田久美さんでしたが、その幸せは長くは続かずわずか3年で離婚に至りました。

中田久美と元夫の離婚理由とは?

中田久美さんの離婚理由は、色んな噂があるようですが本人が語った理由によると、「夫に完璧を求めすぎた」と言うのが離婚に至った原因と言う事です。

ただ、その「完璧」と言うのがどういう意味での事なのかが重要な部分と言えます。

その「完璧」とは、元夫の仕事や普段の生活態度の事なのか、それとも中田久美さんのやる事に対する「寛容な心」の事なのか、この辺の意味で随分離婚理由は変わってきます。

と言うのも、中田久美さんは1992年のバルセロナ五輪を最後にその年の11月に現役を引退しています。

そして、1995年に元夫と結婚している事から、恐らく引退した1992年頃から結婚するまでの3年の間に出会って交際している事になります。

ただ、中田久美さんはなぜか結婚した年の1995年にまた現役復帰して、それ以後もコーチに就任したり全国各地へ講演に出るなど、積極的に仕事をこなしています。

通常、現役を引退して結婚したなら、そのまま家庭に入り夫をサポートするのが流れだと思いますが、中田久美さんは家庭に入るどころか「現役復帰」しています。

なので、恐らく結婚する前に「そういう話」はしていたのだろうと思います。でないと、結婚した年に現役復帰するなどあり得ないでしょう。

ひょっとすると、中田久美さんが「バレーボールの仕事をしていく」と言う事が条件で、元夫もそれを承諾して結婚したのかも知れません。

しかし、中田久美さんがあまりにもバレーボールに熱中し過ぎる事で、だんだん元夫との関係もぎくしゃくして行ったとも考えられます。

実際、元夫の両親とも関係はあまり良くなかったとの情報も出ています。

中田久美の離婚の決定打はセミヌード写真集?

また、中田久美さんが離婚した一番の理由は、1998年10月に出版した「セミヌード写真集」だとも言われています。

どういう流れでこのような写真集が出る事になったのかは不明ですが、正直、グラビアが仕事でも無い自分の妻がセミヌード写真集を出すとなれば、普通の夫は反対するでしょう。

そう思うと、中田久美さんはこの写真集の話が来る前までに、すでに夫と婚姻関係を続けるのは難しいと判断していて、今後の生活の事も考えてオファーを受けたのかも知れません。

また、元夫としても歴史学者の父親を持つような家に育ってる事もあり、「セミヌード写真集を出す妻とは一緒に居られない」と離婚を決意した可能性もあります。

正直、実際の事は本人達にしか分からない事ですが、こうして見てみると最初から性格的にもあまり合わなかったのかも知れませんね。

やはり、「仕事」「家庭」を両立させるには相手側の理解も必要ですし、自分も相当努力しないと難しい所があります。

また、中田久美さんと元夫の交際期間が分からないので何とも言えませんが、恐らくそれほど長い交際期間では無かったのでは無いでしょうか。

その為、いざ結婚して一緒に暮らしてみて初めて「お互いの本性」が分かり、ギクシャクして行ったのかも知れません。

そして、この離婚で結婚には向いてないと思ったのか、その後中田久美さんは再婚はしていません。

中田久美の子供は?

中田久美さんは3年間結婚していたので、その間に子供が一人くらい生まれていても不思議では無いですが、調べてみると元夫との間に子供はいないと言う事です。

この事も、離婚する原因の一つだったのかも知れませんね。

また、中田久美さんは結婚した年に現役復帰して、その後もバレーボールの解説者や講演会などの仕事を多数こなしています。

こういう状況を見ると、とても子供を作って家庭を築こうと言う考えは見えないので、もともと中田久美さんは子供を作る気が無かったのかも知れません。

そういう所も元夫との関係がうまく行かなかった原因になるのではないでしょうか。

そう考えると、元夫はその後再婚して子供を作ってる可能性が高いですが、一般人であるため元夫のその後の事は不明です。

中田久美と尾崎豊の意外な関係とは?

中田久美さんは東京都練馬区出身で、中学は「練馬区立練馬東中学校」と言う事もあり、たまたま同級生に尾崎豊さんがいました。

そして、多くは語られていませんが、年齢も同じと言う事もありひょっとすると同じクラスになった事もあったかも知れません。

また、当時尾崎豊さんは生徒会の「副会長」「文化祭実行委員長」をしていたと言う事で、中学時代からそれなりに有名だったのでは無いでしょうか。

一応、中田久美さんも「顔見知り」ではあったと言う事ですが、親しく会話をするような関係では無かったようです。

ただ、中田久美さんも中学時代からバレーボールで有名な選手だった為、中学時代は中田久美さんの方が良く知られた存在だったのかも知れません。

しかし、同時期にこれだけの有名人が同じ中学に同級生として通っていたと言うのも、すごい偶然のように思います。

恐らく、中田久美さんがその後どんどんバレーボールで活躍出来たのも、同じ中学の同級生でもある尾崎豊さんの活躍に刺激を受けていた部分もあるのではないでしょうか。

また、逆に尾崎豊さんも同級生の中田久美さんがオリンピックに出場して活躍しているのを応援していたかも知れません。

それだけに、尾崎豊さんが26歳の若さで亡くなってしまったのは、中田久美さんも非常に残念に思ったのではないでしょうか・・・

中田久美の凄すぎる経歴!中学から始めて全日本選手に!

中田久美さんは、母親がママさんバレーをやっている姿を見て「カッコいい」と思い、中学からバレーボールを始めました。

また、2年生の時に英才教育バレーチーム『LAエンジェルス』に2期生として入団し、本格的にバレーを始めると天性の才能が開花しメキメキ上達して行きます。

そして、中学3年生の時には史上最年少の15歳で全日本代表に選出され、最初はセンターとして出場しますが、後に素質を買われて「セッター」に転向しました。

その後、日立へ進むと、わずか1年でスタメンを獲得し、日本リーグでは史上初の失セット0での全勝優勝に大きく貢献して「新人賞」を獲得する活躍をします。

以下の動画では、現役時代の中田久美さんの「巧さ」を見る事ができます。

また、1983年からは「日本代表でもスタメンセッター」となり、1984年のロス五輪で見事銅メダルを獲得しました。

そして、1986年には「世界選手権」で主将を務めるまでになりますが、練習中に右膝前十字じん帯を断裂の大けがをし、リハビリを乗り越え10ヶ月後に試合に復帰します。

しかし、その後もまたケガを再発するなど本調子ではありませんでしたが、1988年にソウル五輪に出場しオリンピック2大会連続出場を果たしました。

さらに、1992年のバルセロナ五輪にも出場した事から、日本女子バレー史上初となる3度目の五輪出場を果たし、中田久美さんはその時「日本選手団の旗手」も務めています。

このように、中田久美さんは中学生から日本代表選手となり、3度のオリンピックに出場するなど、日本の女子バレーを引率して来ました。

中田久美は選手を引退してからもすごい!

中田久美さんは、1992年11月に現役を引退してからは、コーチや解説者、タレント活動などを経て2008年に「イタリアプロリーグのコーチ」に就任しています。

ちなみに、日本人が海外チームのコーチをしたのは中田久美さんが「初」との事なので、どれだけその実力が海外で評価されているのかが分かります。

また、その後2012年に「久光製薬スプリングス」の監督に就任すると、監督就任1年目にして「全日本バレーボール選手権」で優勝すると言う快挙を達成しました。

さらに、その後に「Vプレミアリーグ」「黒鷲旗全日本男女選抜大会」も制覇した事から、「女子チームで初めてとなる3冠」も達成しています。

この事も見ても、中田久美さんが「選手」としてだけでは無く「指導者」としてもズバ抜けた才能があるのが良く分かります。

こうした目覚ましい実績から、日本バレーボール協会理事会の満場一致で2016年に「バレーボール女子日本代表の監督」に選出されました。

恐らく、今現在、中田久美さん以上の監督は存在しないと思うので、その中田久美さんが鍛え上げた日本の女子バレーがどのように変わっていくのか非常に楽しみです!

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終わりに

中田久美さんは30歳の時に一度結婚しますがわずか3年で離婚し、元夫は高校野球に汗を流したスポーツマンでした。

離婚の理由は色々言われていますが、結局は中田久美さんが「バレーボール」に意識を向けすぎたのが原因なのではないでしょうか。

しかし、それくらいの情熱が無いと「全日本の監督」にはなれないと思う為、ある意味「結婚」よりも好きな事を全力でやれる今の方が幸せなのかも知れません。

そんな中田久美さんが率いる女子バレー日本代表の活躍に注目です!

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