西田敏行の経歴と両親や兄弟は?父親と母親の驚くべき年の差婚と養父母がすごい!

現在、人気俳優として大活躍の西田敏行さん。

西田敏行さんは、1960年代のデビューから今までずっと第一線で活躍しているすごい俳優です!

テレビドラマはもちろん、映画にも数多く出演し、特に「釣りバカ日誌」はシリーズ化して20作以上も続く西田敏行さんの代表作となってます。

そんなすごい役者となった西田敏行さんの両親について調べてみると、実はかなり複雑な家庭で育って来られてると言うのが分かりました。

また、西田敏行さんは養子に出されてますが、役者になるキッカケを与えてくれたのはその養父母でした。

今回は、そんな西田敏行さんの気になる両親や兄弟と凄すぎる経歴などを紹介していきます!

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西田敏行のすごい経歴と両親や兄弟について紹介!

西田敏行
出典:https://www.koback.jp/

プロフィール

生年月日 1947年11月4日
出身地  福島県郡山市
身長   166㎝
血液型  B型
学歴   明治大学農学部中退
所属   株式会社オフィスコバック

西田敏行の両親は父親が名家出身で4歳の時に他界!

西田敏行さんは、1947年11月4日に福島県郡山市で誕生しています。

そして、西田敏行さんの父親の名前は「今井泉」さんと言い、出身は大阪府和泉市で江戸時代は地域を治める「家老」だったと言う事です。

なので、西田敏行さんの父方の家系は相当な名家と言えます。

また、父親の職業は東京の「為替貯金局」へ勤務していたと言う事なので、「公務員」と言う事になります。

そして、ある時父親が福島県郡山市へと転勤となり、そこで働いていた母親(紀惠さん)と出会い交際に発展して結婚に至ったのですが、実は父親はこの時すでに52歳と言う年齢でした。

また、母親は結婚当時21歳と言う事で、その年齢差は31歳もあった事から周りにも相当反対されたそうですが、両親はそれを押し切って結婚したそうです。

さらに、父親はこの時点ですでに3回の離婚歴があったと言う事なので、結婚生活はともかく女性には相当モテた人だったのではないでしょうか。

と言うのも、今の時代でも31歳差で結婚できるのは余程の金持ちか芸能人くらいだと言えるので、一般人でこの年齢差で結婚できるのは相当な魅力が無いと無理と言えます・・・。

なので、西田敏行さんの父親は相当なプレイボーイだったのではないでしょうか。

そして、両親は結婚後、父親の勤務する局の宿舎で31歳と言う年齢差ながらも幼い西田敏行さんを育てながら幸せな結婚生活を送りました。

しかし、西田敏行さんが4歳になった頃、父親が急に病気で他界してしまいます。(死因は不明)

残された母親と幼い西田敏行さんは、父親が務めていた局の宿舎に居られなくなってしまった為、母親が美容院を開き家計を支えるようになりました。

西田敏行の母親は父親が他界後に再婚

そして、母親も若かった事から、その後しばらくして良い男性にめぐり逢い再婚の話が出ます。

しかし、相手の男性にも西田敏行さんと同じ年の男の子がいた事で話がこじれてしまいます。

詳しい事は分かりませんが、相手側の男性がいやがったのか母親がいやがったのかは分かりませんが、子供が理由で再婚話は進まず悩んでいました。

すると、母親の姉夫婦に子供がいなかった事から急遽、西田敏行さんを養子に出す話が出て西田敏行さんが5歳の時に養子に出る事で、母親は無事に再婚する事が出来ました。

また、養子に出された当時の西田敏行さんは「おばちゃんちにしばらくいるみたいな感じ」と言う事だったので、それほどイヤでもなかったのかも知れません。

そして、この養子に出された事が、西田敏行さんがその後「役者」へと目覚めるキッカケとなっていきます。

西田敏行は5歳から母親の姉夫婦に育てられた!

西田敏行さんの養父の名前は「西田辰治」さんと言い、養子に行った事で西田敏行さんの性は「今井」から「西田」に変わりました。

そして、養父は郡山市役所で働いていたと言う事ですが、生活はギリギリだったそうです。

また、養母の名前は「西田美代」さんと言い、3人で暮らし始めた頃は神社の社務所で暮らしていたと言う事なので、養母が神社の娘だったのかも知れません。

なので、幼い頃の西田敏行さんの遊び場は神社の境内だったと言う事です。

そして、西田敏行さんが小学生くらいになると、養父の西田辰治さんが洋画好きだった事もあり、土曜になるとよく町の映画館に連れて行ってくれたと言います。

それが影響して、西田敏行さんはだんだん「役者」に興味を持つようになり、小学生で演劇クラブに入ると、中学生の頃には養父母に「役者になりたい」と告げました。

そんな西田敏行さんを養父母はしっかりと応援してくれ、役者は「標準語」をしゃべる必要がある事から「東京の高校へ行きたい」と言う願いも叶えてくれました。

なので、西田敏行さんが役者として成功を収めたのは、役者になりたいと思うキッカケを与えてくれた養父やそれを支えてくれた養母のお陰とも言えます。

実際、西田敏行さんは後に泣きながら「養父母には感謝している」と話しています。

西田敏行の兄弟は?

西田敏行さんの実父は西田敏行さんが4歳の時に他界していて、母親もその後に実父の子供を産んだと言う記述は無いので、西田敏行さんに兄弟はいないと言えます。

ただ、実母が亡くなった時に「最近まで娘と一緒に暮らしていた」と言う記述があったので、恐らく実母は再婚後に最低一人は娘を産んでるのではないでしょうか。

そう考えると、西田敏行さんには父親違いの妹がいると言う事になります。

また、実母の遺品には西田敏行さんのDVDや手紙が残されていたと言う事なので、恐らく大人になってからも交流があったのではないでしょうか。

なので、ひょっとすると異父兄弟にも会っている可能性もありますが、その辺の事はほとんど語られていません。

西田敏行の凄すぎる経歴とは?

西田敏行さんは中学生の時に役者になると決めて、高校は東京の「明治大学付属中野高等学校」へ進学し、大学も明治大学農学部へと進学しました。

ちなみに「明治大学付属中野高等学校」偏差値70とかなり高いレベルの高校なので、西田敏行さんは頭も相当いいと言えます。

しかし、大学入学と同時に「日本演技アカデミー夜間部」にも入ると、役者への情熱の方が勝ってしまい大学は中退して「昼の部」へ変更して本格的に取り組みます。

そして、翌年に卒業して役者仲間と劇団『シアター67』を結成するも失敗に終わりますが、西田敏行さんは『渥美清の泣いてたまるか』でドラマデビューする事が出来ました。

青年座に入ってから本格的な役者へ

西田敏行さんは1968年に日本トップレベルの劇団「青年座」の俳優養成所に入り、さらなるレベルアップを目指します。

また、1970年に青年座座員となると、翌1971年の『写楽考』で早くも主役に抜擢されるなど、着実に実力を付けて行きました。

そして、1977年には『特捜最前線』、1978年には『西遊記』の猪八戒役など重要な役柄を次々とこなした事で人気に火がついて行きます。

さらに、1980年の『池中玄太80キロ』では主役を演じて一気にブレイクすると、第2シーズンの挿入歌「もしもピアノが弾けたなら」で歌手デビューも果たします。

また、この「もしもピアノが弾けたなら」オリコン最高4位のヒット曲となり、西田敏行さんはこの年の紅白にも初出場するなど、その人気を不動のものとしました。

1980年代からはバラエティーや映画の世界でも大活躍!

西田敏行さんは1980年代に入ると、その天性のアドリブ力が高く評価されバラエティー番組やコント番組にも出演し、マルチな才能を発揮します。

そして、役者としても1986年に『植村直己物語』と言った大作に主演し、1988年には代表作となる『釣りバカ日誌』で主演を演じて好評を博しました。

ちなみに、釣りバカ日誌シリーズは20作続き、特別編の2本を入れると22作となり、西田敏行さんを語る上では欠かせない代表作となっています。

また、NHKの大河ドラマは1972年の『新・平家物語』が初出演で、2018年の『西郷どん』まで出演作品数は計13作にのぼるなど、西田敏行さんが常に日本トップレベル役者だと言うのが分かります。

さらに、近年も三谷幸喜監督や北野武監督と言った、話題の監督作品に数多く出演するなど、役者活動の勢いは止まりません。

恐らく今後もどんどん新しい作品に挑戦し、今までに無い役者の一面を見せてくれると思うので、これからの西田敏行さんの活躍に注目です!

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終わりに

西田敏行さんの両親は、父親が結婚した時点で52歳、母親が21歳と言うすごい年の差夫婦でしたが、西田敏行さんが4歳の時に父親を亡くした事で大きく運命が変わります。

そして、たまたま母親の姉夫婦に子供がいなかった事で養子に出され、その養父母が映画好きだった事から西田敏行さんに「役者」への道が開けて成功しました。

そう思うと、4歳で父親を亡くした事は不幸ですが、結果的に良い養父母に育てられた事が人生の成功に繋がっているので、人生悪い事ばかりでもないと言えます。

また、西田敏行さんが「涙もろい」のは、こうした生い立ちも少しは影響しているのかも知れません。

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